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2/28(金)はシンガーソングライターライヴwith黒田京子(pf)@大泉学園inF!!!

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前回のシンガーソングライターライヴ(2020年11月28日@大泉学園inF) 喜多直毅(歌・ヴァイオリン)黒田京子(ピアノ・ピアニカ) 2/28は大泉学園・inFでシンガーソングライターライヴを行います。 今年の正月明けにふと思い立って自分の歌のデモを作ってSNSやYouTubeに載せたら、思いの外多くの方から反響を頂いてとても嬉しかったです。 その時、ピアノを弾き、歌を歌い、ヴァイオリンを重ねて、全部一人で作ったのですが、なかなかこれが楽しい。 他の仕事のために急いで揃えた機材がこんなふうに利用されようとは! これからも時間があったらこうした音源をネットに載せていけたらと思っています。 僕の楽しみが増えました! さてこのシンガーソングライターライヴ、元々はライヴハウスのママさんに勧められて始めたものです。 それまでは人様に提供するのみの“ソングライター”だったのですが、『自分で歌ってみたら?』と言われて思い切ってやってみることに。 最初の頃は物凄く緊張してメチャメチャでした。 メチャメチャは今もあまり変わっていないのですが、少しずつ歌や歌うことに対する感じ方が変わってきたように思います。 前は人様のために書いた歌をとにかく一生懸命“上手に”歌うことに必死。 音程やリズムを正確に、発声をちゃんとして、歌詞を見ないで…みたいに。 このような歌の基本は相変わらずダメなままではありますが、それでも歌手っぽく上手に歌おうと思っていました。 こんな言い方をしては身も蓋もありませんが、それはどこか『カラオケを上手に歌いたい』に近い気持ちだったのかも知れません。 この気持ちが少しずつ無くなってきました。 それと人様のために書いた曲は(全てではありませんが)その歌手の声だとか人物みたいなものを一応想定しているわけです。 Aさんに対して歌を書くなら、Aさんの声や歌い方だけではなく、Aさんがどんな人かについても考えるわけです。 もちろんAさんそのものである必要は全くないのですが、不自然にかけ離れたものを歌っていただくわけにはいきません。 こんな考え方に基づいて歌を作ってきたのですが、それをいざ自分が歌うとなると、結構違和感があることに気がついたのです! 自分で仕立てたシャツだけど、微妙に肩幅や身幅が合わない。 袖丈が違う…み

2/22(土)は即興ダンス・矢萩竜太郎さんとのパフォーマンス@CafeMURIWUI(祖師ヶ谷大蔵)

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2/22(土)、ダンサーの矢萩竜太郎さんと祖師ヶ谷大蔵のMURIWUIというカフェでパフォーマンスを行います。 これは5月下旬にロンドンで行われるダンスフェスティバルへの参加のため、我々の呼吸を合わせておこうという目的で企画したセッション。 (ロンドンのことはまた改めてお知らせいたします。) さてここでは竜太郎さん、とは呼ばずに竜ちゃんといつもの呼び名を使いたいと思います。 彼と知り合ったのは齋藤徹さんと出会ってしばらくしてからなので、まだ十年は経ちません。 しかし彼の本拠地のいずるば(ダンススペース)では頻繁に顔を合わせているし、即興パフォーマンスに一緒に参加していたりするので良く知った仲です。 彼は僕の4歳年下ですが、その言動はもはやオヤジの域に達していると思います。 オヤジギャグ寒い…。 そしてオフの時の言動がまるで町工場の社長の様なのです。 どのように町工場の社長か…、それはご想像にお任せします。 左から:喜多直毅、矢萩竜太郎(ダンス)、ジャン・サスポータス(ダンス) ジャンさんはピナ・バウシュ舞踏団のソリストを務め、現在は世界各国で演出やワークショップをしています。 竜太郎さんも大いに影響を受け、ドイツ公演でも様々なサポートをして頂きました。 2017年9月14日@いずるば(東京・田園調布) 彼はダウン症という障がいを持っています。 障がいの話は、正直なところ僕はとても苦手なのです。 というか、障がいについて良く分からないと言った方が良いかも知れません。 知ったかぶりで無責任なことを言ってはならないし、障がい者本人や周りの方々を傷つける発言をしてはいけない。 しかし『障がい・障がい者を知らないから』という言い方そのものが彼らを傷つけるのかも知れません。 そういえば僕は自分のこととして障がいを知っていた、差別を知っていた。 ダウン症や近年ドイツで参加している自閉症をモチーフにしたダンス作品に関わって、忘れていた何かが自分の中にあったのを思い出しました。 それは胸に秘めて、将来お話出来たらと思います(遠い将来)。 彼と初めて会った時、僕はどういう態度をとって良いのか、何を話して良いのか分かりませんでした。 他の出演者、コントラバスの齋藤徹さん、舞踏の岩下徹さんのお二人は竜ちゃんとは前から親しい

一生スランプはやってくる、かも知れない。

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プロのヴァイオリニストとして言ってはならないことと知りつつ敢えて言いますが、自分が上手いと思ったことは一度もありません。 たまに上手いかも?と思うけどすぐにそれは妄想だったと気付かされます。 下手な演奏が続いたり、上手い人の演奏を聴くと自分が上手いなんて思えなくなります。 正しい音程、規則正しく振幅するヴィブラート、巧みなボウイングのコントロール。 そして音色の変化の豊かさ。 しかも20代の学生時代に弾いていた曲を40代になってもバリッと弾きこなす。 カッケェ…。 あぁ自分もこんなふうに弾けたらと切に願う。 そしてこっそり嫉妬する。 多分『誰もお前が上手いなんて一度も思ったこたぁねーよ!』と言う声もあるでしょう。 そう言うご意見は今後の参考にさせて頂くとして、でも近年はより一層上手いと思わなくなりました(それでも聴いてくださる方にはホント感謝しかありません)。 ここ数年、いや十何年もあるテクニックが困難で悩んで来ました。 二十代で出来ていたことが30歳前後で全く出来なくなってしまった。 何故こうなってしまったのか? 実は英国留学時代は僕は殆どヴァイオリンを触っていなかったのです。 自分は作曲や編曲を勉強しに来たんだからと思い、ヴァイオリンの練習はしていなかったのです。 もちろんこんなに練習していなければてきめんにその効果が現れます、悪い方向に。 英国からアルゼンチンに渡りタンゴを勉強しましたが、そのレッスンでも自分のテクニックが劣化していることを知り愕然としました。 帰国してから、いろいろな練習法を試してみました。 当時はガッツリ系のヴァイオリンの奏法技術書と言えば『ヴァイオリン演奏の技法(カール・フレッシュ)上下巻とかガラミアンの本くらいしかなくて、それに沿って練習しても身体が痛くなったり、上手く筋肉の脱力と呼吸がリンクしなかったりしました。 どこかを気をつけると他の方に意識が向かなくなるのです。 それと膨大な文章を前にして心が折れちゃったりとか。 結局本を参考にしてもダメで良い先生のレッスンを受けなきゃならないんだと思いました。 ところが色んな事、例えば自分のバンドのための作編曲やサボり癖で忙しくなり(?)、そのテクニックの改善も疎かに。 結局ヴァイオリニストとして仕事はしていても、問題の技術に

生まれて初めて作曲家として仕事をしました。映画『花のあとさき ムツばあさんの歩いた道』

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『花のあとさき ムツばあさんの歩いた道』と言うドキュメンタリー映画に曲を提供させて頂きました。 映画『花のあとさき ムツばあさんの歩いた道』公式サイト 映画『花のあとさき ムツばあさんが歩いた道』 2020年5月より銀座シネスイッチで上映 作曲家として僕の他に巨勢典子さん、大曽根浩範さんが曲を書いていらっしゃり、それぞれのテイストが映画をより立体的で奥行きのあるものにしています。 実はこの映画、元々18年間シリーズとして放送されて来たNHKのドキュメンタリー番組だそうです。 だそうです、って実は僕はテレビを見ない暮らしを10年以上続けています。 テレビは持っていますが埃が積もっています。 ドラマやバラエティやスポーツ中継は見ませんし、ニュース番組も見ません。 母に「ニュースぐらい見ないと世の中のこと分からなくなるよ!」と言われたことがあります。 一番最近スイッチを入れたのは、東日本大震災の時。 被害状況を見て、それ以来テレビとは無関係の生活をしているのです。 こんな有様ですので、このドキュメンタリーのことは知りませんでした。 (あ、NHKの受信料はちゃんと払っています。) さてこの映画、どんな内容か? それは元になった番組を見てもいなかった僕がここに書くのは大変僭越です。 しかしそれでは読者の皆さんに何も伝わりませんので、ネタバレしない程度に少しだけ書かせて頂きます。 秩父の山奥に限界集落とも呼ぶべき村がありました。 どこから行くにも大変な場所。 ここに住んでいるのは80歳をとうに過ぎたようなお爺さん、お婆さんばかり。 息子や娘たちはとっくに山を降り都会で暮らしています。 山には仕事がないからです。 残った老人たちは急斜面に畑を作り、こんにゃく芋やネギなどを栽培し、また山の手入れなどをして暮らしています。 手入れというよりも山を守る、と言った方が良いかも知れません。 畑の土は痩せて硬く、とても農業に向いていません。 しかしお年寄りたちは先祖代々受け継がれたこの土地も村も棄てることなく生活しています。 まるでそこが自分たちに与えられた恵みであるかのように大切にしているのです。 そこにムツばあさんというお婆さんが住んでいます。 このお婆さん、実にチャーミングなのです。 笑顔が素敵だし、声も溌

音楽家にとって“真似”とは?

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タンゴヴァイオリンの巨匠・Fernando Suarez Paz氏のレッスン。氏の自宅にて。 じんぼう ―ばう 0【人望】他人から寄せられる信頼・崇拝・期待の念。「―を集める」「―のあつい人」 正直、僕は自分の人望の無さを思い知らされて惨めで情けない思いをすることが多いです。 それに関してはこれまでの行いが悪かったのだろうと思っています。 では心を入れ替えて人望のあつい人になりたいかと言えば、色々と大変そうなので即座になりたいとは言えません。 何が大変って、まず普段からちゃんとしていないといけないし、一人の人間として立派でなきゃならない。 仕事も一生懸命しなければならないし、それなりの結果を出していないといけない。 はっきり言って無理。 人望なんて即座に集まるものではありません。 第三者から見たこれまでの実績とか人に対する態度や言動によって人望は集まるのです。 すなわち自分が『人望のあつい人』になろうと思ってなれるものでもない。 人望が人生の第一目的ではありません。 それが第一目的になっているとしたら、その生き方には他人の目を意識してばかりの嫌らしさを感じます。 人望とはあくまでも他人の評価だからです。 それよりも『誰が何と言おうと自分は好きな事をやって充実している』とか『自分の価値は自分で決める』とかの方が、自律的で良いと思います。 さて本当にごくたまにですが、草むらの中からそっと僕をのぞいていて、密かに評価してくれる人に出会います。 それは極々少人数なのですが。 とても嬉しくなります。 僕はそもそも自己評価が低い自己否定型ヴァイオリニストですので、そりゃ肯定してくれる人に出会えたら嬉しいですよ。 そういう人たちに対して僕はめちゃめちゃ好意的です。 歳の若い人(ヴァイオリニスト)だったら、自分が持っているものを全てプレゼントしたくなります。 食事も奢りたくなる。 上京した人なら家に泊めたくなる。 それと教えるとかではなく、音楽について共に語りたくなる。 正直なところ、あぁ自分に甲斐性があってその人に仕事を回すことが出来たら…と思う。 でもそんなものは無いので、その人の演奏経験やキャリアや経済的なところをお世話することは出来ない。 ここが一番残念なところです。 この歳になったらそういう事が出来て

GTDによる仕事術はフリーの音楽家に効くか?

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OmniFocus 仕事をする以上、そこに生じるのが“やらなければならない事=タスク”です。 仕事(プロジェクト)はタスクの集合体・連なりと言えるかも知れません。 その一つ一つのタスクをきっちりこなしていけば、ゴールに辿り着ける(その仕事が無事終了する)。 もちろん思わぬトラブルが発生したりすることもある。 そこで慌てずに今決められているタスクの集まりを俯瞰して、期限をずらしたり延長したりすれば、何とかトラブルが致命傷にならずに済みます。 ひょっとしたらご存知の方も多いかと思いますが、GTDというタスク管理システムがあります。 これはデビッド・アレンという人が書いた『 ストレスフリーの整理術 』という本による仕事術です。 はじめてのGTD ストレスフリーの整理術 デビッド・アレン 僕は10年くらい前に読みました。 GTDは“Getting Things Done”の略。 とにかく物事を済ませちゃおうぜ、みたいな意味でしょうか。 【GTDのやり方】 《1. 収集》 頭の中にある気になっていること(やらなければならないorやりたいこと)を全て“INBOX”に入れる。 INBOXはパソコンの中に作ったフォルダでも実際の机の引き出しでも段ボール箱でも何でも良い。 とにかく頭の中のものを全てINBOXに入れて、頭は空にする。 《2. 処理/整理》 次はINBOXに入れた“気になっていること”を一つずつ精査して行きます(必ず上から下の順に)。 ・それは行動を起こすべきか?という問いを一つ一つに投げかる - Noの場合、“ゴミ箱”、“いつかやる/多分やる“フォルダ、“資料”フォルダのいずれかに入れる。 - Yesの場合、次にとる行動は一つか、それとも複数かで分ける。 ◉ 一つの行動で済む ・二分以内で出来ることなら今すぐやる ・二分以内で出来なくて、しかも人に任せたら良いものは『連絡待ちリスト』に入れる。自分でやらなければならないもので、特定の日にやるべきものは“カレンダー”に書き記し、そうでないものは“次に取るべき行動”リストに入れる。 ◉ 複数の行動を要する ・“プロジェクトリスト/プロジェクトの資料”というフォルダや箱に入れて、さらに行動が一つになるように細分化していく。 例:〇〇ホ