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2/4(金)喜多直毅クアルテットLIVE@新宿ピットイン

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喜多直毅クアルテットでやりたいこと。 【例1.】 無差別に人を刺したくなり、ナイフだの火炎瓶だのを手に夕暮れの駅の人混みを歩くが、耳には何の音も入ってこない。 他人の人生も自分の人生も壊してしまいたい、そんな思いで頭がいっぱいで、聴覚は物理的な振動に対して閉じているから。 その“無音”を音楽にしたい。 【例2.】 『仔犬に石を投げるのはアイツ 殴られて育った小さなアイツ 殴り返しもせず 諂(へつら)ってしまった 悔しさが目の奥で 溢れる』 (誰かが書いた歌詞) この溢れるものの熱さ、込み上げるものの苦辛い味を音楽にしたい。 殴られて口の中に広がる血の鉄臭さも。 【例3.】 さんざん迷惑をかけた父母も死んでしまって幾星霜。 寒い駅に降り立った時、街の人が物陰でひそひそ声でそしっているのを聞く。 方言で何というのか分からないけど、『あれだけ迷惑かけて良く帰って来れたな』とか。 一言一言が平手打ちのよう。 こんなことをひそひそ囁きあっているのです。 たまったものじゃありません。 この訛りの抑揚を音楽にしたい。 【例4.】 躁鬱のちょうどはざかい、燃えるような頭を枕の上に載せる。 脳底は真っ赤に燃えて頭蓋を黒煙が満たす。 枕はぶすぶすと焼け焦げていく。 脳の中を漆黒の蒸気機関車が猛スピードで疾走する。 その汽笛の音や車輪の音を音楽にしたい。 【例】とした割には具体的すぎたかも知れません。 これらは僕が思っていることで、聴く人が全く別の印象を持って当然です。 そもそも音楽の良さの一つは『具体的な意味合いを持たない』『特定の解釈を強要しないところ』にもあるのですから。 (おそらくこんな記事を書かない方がお客さんは聴きに来てくれるのではないかと思います。何で書いてるんでしょうね???) 僕は、喜多クアルテットの音楽は人間の精神のドキュメンタリーであるとも思っています。 生まれて生きて死んでいく。 その間に苦悩もあれば葛藤もある。 希望もあれば歓喜もある。 愛も、裏切りも、嫉妬も…、とにかくありとあらゆる姿を心は見せる。 そして一瞬たりとも同じではないのです。 これは音楽家として看過できないもの。 人の心は一筋縄ではいきませんが、何とかドキュメンタリーのように生き生きと描いてみたい。 そう思って約10年間、喜多クアルテットの活動を続けて来ました。 今回の公演は初めて新宿ピットインで

【1/23(日)は喜多直毅タンゴ四重奏団+矢萩竜太郎(即興ダンス)@いずるば】

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アルゼンチンタンゴには“タンゴダンス”という確立された舞台芸術がありますが、今回は即興ダンサーの矢萩竜太郎さんとパフォーマンスを行います。 演奏曲は全てアルゼンチンタンゴ。 そして矢萩竜太郎にしか踊れないダンス。 この二つのコラボレーションです。 もともと竜太郎さんとはコントラバス奏者の齋藤徹さん(故人)の引き合わせによって知り合いました。 それ以後、ドイツで齋藤徹さんを中心に一緒にパフォーマンスを行ったり、デュオで即興演奏&ダンスの公演を行ったり。 喜多クアルテットのゲストとしても二回踊っていただきました。 先日、この公演のために会場となるいずるばでリハーサルを行いました。 タンゴダンスの動きは見慣れていますが、音楽に合わせて自然に踊り始めた竜太郎さんの動きはとてもユニーク。 期待を遥かに超えたものが生まれそうだぞと嬉しくなりました。 彼のダンスの素晴らしいところは、音楽に全く違う角度から光を投げかけてくれるところです。 以前、喜多クアルテットで共演した時は深刻で陰々滅々たるシーンにスキップで登場してくれました。 これはほんの一例で、作曲者である僕が『この音楽のここの部分はこうです』とか『こういう曲だからこう反応するに違いない』と決めてかかっているところを遥かに裏切るダンスをしてくれるのです。 『障がいとはこうだ』とか『障がい者だからこうだ』という思いをさえ遥かに裏切ってくれるのも、素敵なところです。 彼とのセッションにはそうした気づきがあり、また胸の中を太陽の光が満たしてくれるような力を感じます。 今度の日曜日(1/23)、アルゼンチンタンゴと竜太郎さんとの共演をどうぞお楽しみに! いずるばでお待ちしています! 出演:喜多直毅タンゴ四重奏団    喜多直毅(ヴァイオリン)    北村聡(バンドネオン)    松永裕平(ピアノ)    田辺和弘(コントラバス)    矢萩竜太郎(ダンス) 内容:アルゼンチンタンゴの演奏と即興ダンス 日時:2022年1月23日(日) 開場14:30/開演15:00 会場: いずるば (沼部・多摩川)    東京都大田区田園調布本町38-8 料金:予約¥4,000 当日¥4,500 ご予約・お問い合わせ:     violin@nkita.net ※予約のメールタイトルは「いずるばタンゴ」、メール本文に「代表者氏名、人数、連絡先電話番

【1/15(土)は喜多直毅(vln.) 照内央晴(pf.)西嶋徹(cb.)即興演奏ライヴ@成城Cafe Beulmans】

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最近、公園通りクラシックスでピアニストの照内央晴さんと即興演奏ライヴを行いました。 Facebookで宣伝しようと思い、完全に逆説的に『このライヴは余りオススメしません』と書いたのです。 そしたら結構沢山の方が『いいね!』をつけて下さったので、「この宣伝は効くに違いない、しめしめ」とほくそ笑んでいたのです。 ところが当日会場にいらしたのは何と約五名! やっぱり『オススメしません』と書いたのがいけなかったのか。 オススメしないという言葉をそのまま受け取ってしまった方が多かったのか。 あるいはそもそも聴きに来る気なんかなかったのか。 人の心は良く分かりません。 さて今度の土曜日2/15にも即興演奏のライヴがあります。 懲りずに申し上げますが、このライヴもオススメしません。 知っている曲はやらないし、客席に座っていれば誰でも無条件に楽しめるというものではないと思うからです。 かつては、もっと多くの人に即興演奏の魅力を伝えたいとか多くの方に聴きに来てほしいと願い、宣伝を頑張ったり動画をYouTubeに載せていたこともありました。 しかし、今はそうした努力はしなくても良いと思うようになりました。 宣伝や集客努力で疲れ果てるよりも、演奏に全エネルギーと集中力を注いだ方が良い。 純粋に音楽だけに奉仕する。 それが演奏家にとっての最優先事項です。 即興演奏。 それは素晴らしきもの。 野生の肉食獣が獲物を追う。 草食動物が必死に逃げる。 生まれたばかりの赤子が産声を上げる。 年老いた象が森の奥でドサリと倒れる。 ここにはただただ死ぬまで必死に生きる時間があるだけ。 子鹿が虎に捕まって食べられて可愛そう!とか、そういうことはテレビの前の人が勝手に感じることです。 (僕の尊敬する方が、ある時以上のようなことを言ってくれました。) 生と死の営みに直接触れられる音楽、それが即興演奏だと思います。 そして実はクラシックでもジャズでも他のどんな音楽でも、良い演奏には生と死の営みの時間が流れているはずなのです。 ということで、知っている曲が聴きたければ、そして耳に馴染んだ西洋和声の方程式のみを音楽の条件とするならば、このライヴもまた余りオススメしません。 音楽を聴く、というよりも時間を感じることに面白さがあると思います。 出演:喜多直毅(ヴァイオリン)    照内央晴(ピアノ)    西嶋徹(コン