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1月, 2020の投稿を表示しています

ヴァイオリンの演奏技術と練習について

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ここ一、二年、いやそれよりもっと前からヴァイオリンの演奏技術を何とかしたいと思っています。 もちろん改善すると言う意味です。 昔は無意識に出来ていたこと、簡単だったことに躓きを感じたり、うまくいかなくなっていることに気付いて愕然とすることがあります。 かつて得意だった曲が不得意科目になっているのだから情けない。 『昔はあんなに弾けた』と言ってもそれは過去の栄光にしがみついているのであって、今は出来ていないのだから仕方がありません。 実は最近、ヴァイオリンスタンドを買いました。 ヴァイオリンと弓を立てておけるやつ。 弱音器や松脂も載せられます。 僕の仕事の80%はデスクワークなのですが、仕事机の横にこのスタンドを置きました。 載せてあるのは安い練習用のヴァイオリンです。 弓も安いやつ。 二つとも安物なのでケースに入れないまま真夏でもそこに置いてあります、本当は楽器には良くないんだけど。 このような状態でヴァイオリンを置きっぱなしにしておくと、デスクワークの合間にちょっとだけ弾いたりできるのです。 手を伸ばせばそこに楽器があるから便利。 いちいちケースから取り出す手間もない。 壁に立てかけたギターのように気軽に弾けます。 良く使う練習曲集のPDFをネットからダウンロードしておいて、モニターに表示させておく。 こうするとちょっと弾いてデスクワークに戻れる。 でも書き込みしにくいのが難点(不可能ではない)。あああ、iPad Pro欲しいぜ! そんなにガッツリとは弾きません。 例えばセビシックの指練習を一小節だけとかカール・フレッシュの一つの調の分散和音だけとかゴラのヴィブラートの練習の一つだけとか、とにかく短いのをちょこちょこさらう。 仕事の合間にコーヒーを飲んだりタバコを吸うような感じです。 こんな練習は本当は良くないのかな。 ちゃんとメインの楽器で譜面台の前に立って練習するべきかも知れません。 コンチェルトとか難しめの小品とか何時間も。 でもそんな練習の後に夜のライヴに行くと、大抵昼間の練習で疲れ果てていて良い演奏ができないのです。 デスクワークに戻ったとしても既に練習で集中力を使い果たし使い物にならない。 そのままベッドに直行して全てを怠けてしまう。 これじゃあダメだ。 これから先、

今週木曜日(1/30)はシンガーソングライターライヴ with 加藤崇之さん

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この前『青空』と言う歌を作り、自分で歌ったものをYouTubeやSNSに載せてみました。 多くの方にご覧頂けて嬉しいっす! この歌は自殺した人が天国で思っている事・見ているもの等を歌詞に散りばめています。 メロディが最初にあって、後から歌詞を付けました。 案外サッと出来ちゃった曲です。 身近な友達も聴いてくれて感想を言ってくれました。 「案外自殺したい人って多いのかもね。」 その友人が自殺したがっていると言うわけではありません。 しかし普通に生活していて、そこそこ楽しそうに見えて、特に大きな悩みも無さそう…。 そんな人がふっと自殺してしまう、なんてことがあるのかも知れません。 またつい先日別な友達と食事に行き、この歌の話になりました。 実は僕自身、この歌が好きでたまに無性に聴きたくなります。 そしてYouTubeとかSoundCloudにアップしたものを聴いてしまいます。 そうするとマンションの屋上にフラフラッと登って、何か薬でも飲むみたいに飛び降りてしまいたくなるのです。 生に対する執着を忘れる。 そして天国が隣の駅にあるみたいに、簡単に行けそうな場所に思えて来る。 その友達もやはり頭の中にこの歌が流れることがあって、フラフラと向こうの国へ行ってしまいそうになるそうです。 慌てて頭からこの歌を振り払うそうです。 変な霊に取り憑かれて作っただろと言われてしまいました。 良く分かりません。 でも僕は後からこの歌の別な意味を知りました。 何度も聴きかえすうちに感じたことです。 世の中には色々な環境で生きている人がいますよね。 大きな重荷、例えば病気や借金などを背負っている人がいる。 取り返しの付かない失敗をしてしまった人がいる。 誰かに裏切られたり、深く傷つけられた人がいる。 頑張っても頑張っても一度つまづいたら二度と挽回できない…、そんな状況にあって力を落としている人がいる。 でも、重くのしかかるものに潰される前に、一度空から自分を見てみようぜ、悩みを見てみようぜ。 そしたら何か違う景色が広がるかも知れない。 違う見方が生まれるかも知れない。 見方や考え方が変われば、生き方も変わるかも知れない。

喜多直毅『兄と妹』・アルバム“Viohazard"とヴァイオリンポップスについて。

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中国の動画サイトに違法アップロードされている僕のオリジナル曲『兄と妹』です。 非古典系提琴选辑 喜多直毅 02 - 兄と妹 (CMが終わったら曲が始まります。) ギターは伊藤芳輝さん、アコーディオンは佐藤芳明さん、パーカッションはクリストファー・ハーディさんという贅沢なメンバー。 この曲はViohazardというアルバムに収録されています。 VIOHAZARD / 喜多直毅(AIRPLANE LABEL STORE) VIOHAZARD / 喜多直毅 APX1003 / AIRPLANE LABEL STORE ¥2,640円(税240円) 実は最近このアルバムに対して僕の中で何かの“高まり”を感じています…。 自分で自分のアルバムを再評価するって変ですが、しかしこれまで作ってきた作品の中でも一際異色のこのアルバムが何だか気になっているのです。 今聴くと、一曲一曲、結構しっかりアレンジされていて面白い。 『若者、頑張ってるじゃん!』って思います。 録音したのは2006年ですからもう14年前。 うわっ33歳の時だ! タンゴから少しずつジャズとか他のジャンルに手を出し始めた頃です。 近頃取り組んでいる音楽(喜多直毅クアルテット、タンゴトリオ、黒田京子さんとのデュオ、即興演奏)とはお客さんの層が違うかなと思って、暫くライヴ会場での販売はしていませんでした。 でもこれからは会場に持って行くようにします。 さてこの動画、今までにSNSで何回もシェアしています。 何故かというとヤギを触ってる画像が使われているのが面白いから。 他のヴァイオリニストのは皆んなカッコ良いアーティスト写真なのに、僕のだけ子ども動物園でヤギを触ってるただのスナップなのです。 面白れー。 ヤギとの触れ合い ~1~ スロバキア・トレンチンにて とても人懐っこいヤギで「もっと撫でろ」と頭突きしてくるのでした。 ヤギとの触れ合い ~2~ 近所のこども動物園にて 愚鈍な感じのヤギ。まるで無反応。カメラを見てくれなかった。 このように追加でヤギとの写真を載せておくと、また中国の違法サイトが使ってくれるかも知れません。 ところで「今頃気づいたの?」と言われそうですが、この曲ってヴァイオリンポップスなのでは? 曲調が、です

今週末1/24,25は喜多直毅クアルテット!!!

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生まれて初めて、というわけではないのですが、何十年ぶりにパソコンで音楽を作ってみました。 Sibelius というソフトです。 パソコンの五線紙に一個一個音符を打ち込んでいく作業はなかなか根気が要りました。 それに分からないことだらけで、Facebookで訊いたりサポートに問い合わせたりしました(教えてくれた皆んなありがとー!)。 手で書けば一瞬で出来ちゃうようなこともどうやったら良いか分からなくて、ネットや本で調べたり。 しかし反面楽しくもあって、自分はパソコンで音楽を作る作業をすることがそんなに嫌いではないのではないか?と思いました。 僕の周りの演奏家は10人に7人がfinaleやSibeliusを使って作曲しています。 作曲家はもはや手書きで書いている人はいません。 20年以上も前から徐々に楽譜作成ソフトで作曲をする人達が身近に増え出しました。 「今頃使い始めたの!?」と言われそうですが、確かに僕は遅い方かも。 最近ある演奏家に僕の手書きの楽譜を渡したら、「パソコンで作った楽譜はありませんか?」と言われました。 さてこのソフトを使って感じたこと、多々ありました。 良い面も悪い面もある。 悪い面は自分のせい、または自分が気をつけなければならないこと。 パソコンで曲を作る際に感じたメリット: 1. 複雑な楽節を自由自在に編集出来る(調を変える、担当する楽器を変える、等) 2. 曲の構成を自由に変えられる 2. その複雑な楽節を曲の他の位置にコピペ出来る 3. 作った部分をそれぞれの楽器の音色で再生して確認できる 4. 一つの旋律のリズムや音高を即座に反転させ、新しい旋律として使える 5. 楽譜の見た目が綺麗で視認性が高い 手書きで作っていた頃は、曲の前半や中盤に複雑な箇所を作って、後半にも移調して再現させたい場合など大変でした。 音符が多かったりすると書く作業だけで心が折れそうになる。 頑張って書き終えても気に入らなくなると、またゼロからやり直し。 曲の他の場所に差し込んでみたら?と思っても、やっぱり手書きしなければならず、それだけで嫌になってしまう。 結局、移調は諦めて、再現させたい部分をコピーしてハサミで切ってノリで貼る、とかしていたのです。 構成の編集が本当に大変。 作曲からのストレスは

新年あけましておめでとうございます。

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岩手のお雑煮 皆様、新年あけましておめでとうございます。 旧年中は大変お世話になり有難うございました。 今年一年もどうぞ宜しくお願いいたします。 さて年末に突然高熱が出て、アラブ古典音楽のライヴを急遽欠席せざるを得なくなってしまいました。 身体が痛くて怠くて、欠席する旨をSNSに書くだけで必死でした。 熱で身体が余りにもキツいので夜中に近所の総合病院へ行きました。 この病院の救急スタッフは若い人ばかりなのです。 ベテランみたいな人がいない。 何だか全員大学生みたいなの。 で、ほぼ全員、患者に対する態度が横柄で雑なのですよ。 受付スタッフも皆んな若い。 窓口は空いているんだけどいつも人がいなくて、奥の方でバタバタしていたり談笑しているのです。 『会計まで三時間待たされてるけどどうなってるんだ!』と怒鳴っている患者さんもいました。 前に来た時にも同じ印象を持ちました。 整形外科の先生が触診もしなくて、『レントゲン撮りたきゃ撮りますけど』みたいな感じなのです。 話す時、患者の顔も見ない。 今回が一番不愉快でした。 車輪の付いた小机を滑らして僕の検査に来た若いスタッフ(看護師?)は、その小机にもたれかかるようにして進んで来たのです。 子供がスーパーのカートを押して遊んでるみたいに。 診察してくれた医師はやっぱり若い人でした。 多分20代そこそこなんだけど、本当に投げやりな感じなのです。 出来ることなら診察したくない、でも仕方がなくやっている、そんな態度。 よくコンビニの店員でめちゃめちゃやる気なくて不貞腐れた態度の人いるでしょ? やりたくないならやめろよ、誰も止めないから、と思ってしまうような人。 その医者もそんな感じだったのです。 病院が常時人手不足だから皆んな疲弊してこんな風になっちゃってるのかな。 ベテランのスタッフが指導したり注意したりしないのかな。 自分が病気したことないから患者の気持ちなんて分からないのだろうか。 とにかく酷い目に遭いました。 今年も色々な計画を立てていますが、体力づくりを真剣に考えないとヤバそうです。 去年喜多カルのツアーが終わった後、めっきり老け込んでしまいました。 年金をもらえるまでは頑張りたいです。

おっちょこちょいヴァイオリニスト

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おっちょこちょいヴァイオリニスト。 ミス、物忘れ、遅刻、朝寝坊。 昨年はこんなことばかりでした。 その度に人に迷惑をかけたり怒られたりしていました。 この歳になって情けない…。 実は子供の頃から忘れ物が多かったのです。 教科書やノート、提出物、靴とか体操着。 その代わり余計なものをランドセルに入れて学校に持って行きました。 おもちゃとか。 音楽が好きな子供だったので、楽譜は特別なバインダーに挟んで持ち歩いていました。 そのバインダーの端に穴を開けて、パンダのマスコットをぶら下げたり、表紙に変なイラストを描いていました。 それを見て皆んな笑っていました。 僕には何がおかしいのかさっぱり分からず、しかし笑われた事でそれなりに落ち込みました。 アマチュアオケに参加した時(小学生の頃)、セカンドヴァイオリンでベルリオーズの幻想交響曲を弾きました。 その楽譜にベルリオーズの言葉をびっしり書いて練習に持って行きました。 オーケストラの弦セクションは二人で一つの楽譜を見るのですが、隣の人(大人)が笑っていました。 ちなみに隣の人は練習の日によって変わります。 高校生の頃は卒業試験をすっかり忘れて家で寝ていました。 忘れて…と言うのは、卒業試験の存在すら思い出さなかったのです。 卒業試験の事はホームルームで何度も言われていたに違いないのに。 親の職場に担任が電話をかけて、やっとその日が試験の日だったと知りました。 起きたらもう夕方で、とっくに試験は終わっていました。 結局、先生が追試の許可をくれて無事卒業出来ました。 片付けは割と出来る方なのです。 散らかった部屋が嫌だし、全てが整然と並んでいないと気持ち悪いのです。 でも仕事部屋はメチャメチャだし、まず引き出しの整理が出来ません。 それは頭の中の引き出しも同様で、特に複数の物事を同時進行させるのが本当に苦手です。 たまにこの仕事(フリーランスの演奏家)が向いていないのではないかと真剣に悩みます。 大事なことを忘れないようにGTDのソフト(Todoリストとかリマインダーの高機能なやつ)を買ったりしましたが、GTDの概念そのものが理解出来ませんでした。 どうやら理解出来ないことがある