2019年4月26日金曜日

【明日はいよいよ喜多直毅クアルテット+矢萩竜太郎(即興ダンス)スペシャルセッション!!!】

喜多直毅クアルテット    喜多直毅(作曲・ヴァイオリン)    北村聡(バンドネオン)    三枝伸太郎(ピアノ)    田辺和弘(コントラバス)  特別出演:矢萩竜太郎(ダンス)
2019年4月27日『喜多直毅クアルテット with 矢萩竜太郎』スペシャル公演
@いずるば

明日は矢萩竜太郎さんと喜多直毅クアルテットのスペシャルセッションです。
会場は東急線多摩川駅と沼部駅の中間地点、福山雅治さんの桜坂の近くにある“いずるば”で行われます。

竜太郎さんは即興で踊るダンサーです。
彼は齋藤徹さん(コントラバス)との共演が多いのですが、もちろん即興のセッションです。
しかし今回は喜多クアルテットは決まった曲(作曲されて楽譜に書かれた音楽)を演奏します。
それに対して竜太郎さんが自由に即興ダンスをします。
これまでクアルテットは『沈黙と咆哮の音楽ドラマ』と称して、音楽劇のようなコンサートを行ってきました。
明日、そこに参加してくれる竜太郎さんには自由に踊って欲しいです。
ドラマに入っても良いし、ドラマを壊してくれても良いとさえ思っています。
その時どうなるか…、クアルテットで音楽づくりを続けて来た本人として、その“出来事”に遭遇してみたいのです。
僕自身の作曲/演奏活動にも竜太郎さんが必ずや何か指針を与えてくれるような気がしています。

昨日いずるばのスタッフで長く竜太郎さんと共にダンスに取り組んできた方からメールを頂きました。
前もって差し上げた喜多カルのCDに合わせて竜太郎さんがリハーサル的に踊ったらとても良かったとのこと。
もちろんCDと生演奏は違うものですので、明日の本番がどのようなものになるか分かりません。
しかし録音音源だとしても彼が身体いっぱいに音楽を受け止めて踊ってくれたことが嬉しいです。
明日がもっと楽しみになりました。

竜太郎さんのお母さんは今ご病気です。
喜多カルの求道会館公演にお母さんと竜太郎さんが来てくれたのは二年前。
お母さんがとても演奏を気に入って下さり今回の公演へと話が繋がりました。
明日喜んでいただけるととても嬉しいです。

もちろん皆さんも明日はお誘い合せの上お越しください!
まだお席に余裕がございます。
竜太郎さんとのステージ、本当に素晴らしいものになるに違いありません。
この珍しい機会をお見逃しなく!

頑張るぜい!

『喜多直毅クアルテット with 矢萩竜太郎』スペシャル公演
音と身体から迸る美しきエネルギー、その二つが出会う時、生まれいずる“場”。
喜多直毅クアルテット、活動開始以来初めてのゲスト参加公演!!!

出演:喜多直毅クアルテット
   喜多直毅(作曲・ヴァイオリン)
   北村聡(バンドネオン)
   三枝伸太郎(ピアノ)
   田辺和弘(コントラバス)

特別出演:矢萩竜太郎(ダンス)

内容:喜多直毅オリジナル作品+即興ダンス

日時:2019年4月27日(土)19:00開場/19:30開演
会場:いずるば(沼部・多摩川)
   東京都大田区田園調布本町38-8

料金:ご予約¥4,000/当日¥4,500
ご予約・お問い合わせ:violin@nkita.net

出演者プロフィール

【喜多直毅クアルテット】
2011年、ヴァイオリニスト喜多直毅によって結成された四重奏団。演奏される楽曲は全て喜多のオリジナル作品であり、その出自とも言うべきアルゼンチンタンゴからフリージャズ、即興演奏、現代音楽まで、様々な要素を呑み込んで再構築された、比類なき音楽である。ロシア音楽を彷彿とさせる濃厚な旋律と共に、日本の伝統音楽に通ずる“間”の感覚を併せ持った彼らの音楽は、その深い精神性を高く評価されている。
4人のメンバーはそれぞれの楽器における国内屈指のタンゴ奏者と目されつつ、卓越した実力により、ジャンルを超えてシーンの最先端で活躍している。この4人においてこそ実現する超絶なる表現が、聴衆の気魂を揺さぶり“ドゥエンデ(Duende)”を呼び醒ます。

【矢萩竜太郎 即興ダンス】
ダンスのスタイルは常に“即興”。かたちに捉われない自分自身の表現を目指し、彼の存在がその場に与えるポジティブな影響は多方面で注目されている。
2014年夏、日本で6回、ドイツで4回の公演を齋藤徹、ジャン・サスポータスと共に成功させる 。
全10回の公演をドキュメンタリー「ダンスとであって・竜太郎10番勝負!」として発表(近藤真左典監督)。

2019年4月16日火曜日

4/27はとてもスペシャルな公演!!!喜多直毅クアルテット+矢萩竜太郎(即興ダンス)

矢萩竜太郎(即興ダンス)、齋藤徹(コントラバス)との共演
矢萩竜太郎(即興ダンス)、齋藤徹(コントラバス)との共演

矢萩竜太郎さんをご存知ですか?
ここ数年、齋藤徹さん(cb)のパフォーマンスやワークショップにご参加の方にはもうお馴染みのダンサーだと思います。
彼は即興ダンサーとして活動中。
近年は東京だけではなく、地方や海外(ヨーロッパ)でも踊り、各地で絶賛を受けています。
僕はその場に居合わせなかったのですが、ドイツ・ヴッパタールの即興スタジオ“ORT”では彼のダンスを観て涙する人が大勢いたとのこと。

これまでドキュメンタリー映画監督の近藤真左典さんが竜太郎さんの活動をずっと記録していました。
海外遠征まで同行し、パフォーマンスだけではなくプライベートな映像も撮影していました。
先月、二作品めのドキュメンタリーが出来上がり、僕も試写会へ足を運びました。
映画では竜太郎さんの活動が時系列になっているのですが、映像が後半に行くに従って、そのダンスが如実にパワーアップして行くのです。
成長・進化・発展。
ドキュメンタリーの最後の方のダンスは神がかっており、無駄がなく、かつ自由で、ハッとさせられるものでした。

僕も彼とは何度も一緒に共演させて頂いています。
彼の本拠地のダンススペース“いずるば”にお邪魔した時は気軽に声をかけ合う仲間です。
初めての出会いは五、六年前だったでしょうか(いや、それ以前だったかも)。
齋藤徹さんの引き合わせで行われた竜太郎さんと山海塾の岩下徹さんとのパフォーマンスでした。
僕はダンスとの共演歴があまりなく、どのように演奏したら良いのか実はとても戸惑っていたのです。

ダンスとの共演に対する戸惑い以外に、もう一つ不安になることがありました。
それは竜太郎さんがダウン症だということです。
僕はダウン症の人とは接したことがなく、彼とどのようにコミュニケーションをとったら良いのか分からなかったのです。
普通に接したら良いのか、何か特別な接し方があるのか…。
とても戸惑っていました。

障がい。
それは色々あります。
ダウン症の他、自閉症や精神病。
身体の障がい。
加齢に伴って生ずるもの。
広く解釈すれば難治性の病気も入るかもしれない。

これらの人々と接するとき、どうしても身構えてしまう。
僕は特にそうなのです。
そもそも“普通の”人々と接する時でさえ、身構えてしまう。
バリアを張る、無視する、逃げる。
酷いもんですが、実際こんなふうにしてしまう。

その初めての共演の時も何だかギクシャクした感じで、僕はいたたまれなくなって楽屋の和室に逃げたのです。
そして一人、横になっていました。
すると竜太郎さんが入って来て僕の隣に寝転び、そして僕の手のひらに自分の手を差し入れて来たではありませんか。
これには驚きました。
僕の不安を察したのかな。
小さいけれどとても暖かい手でした。

それ以後、彼との距離は次第に縮まりました。
今では全く普通に接しています。

喜多直毅(ヴァイオリニスト)、矢萩竜太郎(ダンサー)、JeanSasportes(ダンサー) 2017年9月14日@いずるば
喜多直毅(ヴァイオリニスト)、矢萩竜太郎(ダンサー)、JeanSasportes(ダンサー)
2017年9月14日@いずるば

彼は本当に優しくて思いやりがあり、決して人を馬鹿にしたり虐めたりしない人です。
対して、我々“普通の人達”の間にはいかに多くの差別や虐めや競争があることか。
あれも出来る、これも出来ると言いながら、大切なことが出来ないのです。
これこそ障がいというべきものかも知れません。

竜太郎さんもそんな“普通の人達”の間で生きています。
バイトをしていて、そこでは一人の従業員として働いています。
様々なことがあるに違いありません。
差別や虐めや競争の溢れる社会の中、辛いこともきっとあるでしょう。
察するに竜太郎さんは傷つきやすい人だと思います。
でも彼から感じるのはポジティブで明るいエネルギーです。
それがダンスにも表れており、その力強く素直な動きには、人間が本来持つ生命力を感じさせられます。

障がい。
ひょっとしたら誰もが形や程度の差こそあれ、身体だけではなく、心にも生きづらさや上手く出来ないことを抱えているのではないかと思います。
そこに自覚がある人もいれば無い人もいる。
とにかく人間というものはコンパスで正確に描いた円ではなく、どこかしら歪みや欠けを持っているものだと思います。
または心に開いた深く暗い穴を持っている。
僕も人間的には相当歪んでおり、欠落した部分や闇のような穴を多く抱えています。
なので障がいは何もないくせに生きていくのが大変で、『自殺だけはしない』『何とか寿命まで持ちこたえる』だけを目標としています。
偉くなれなくても金持ちになれなくても、自動的にスイッチが切れるまでは何とか生きたいと思っています。

これまでこの歪みや欠落を音楽で描いて来ました。
穴に落ちてもがく人の姿や声を音にして来ました。
そんな一見忌わしい事を続けて来ましたが、意味も意義もある事だと信じています。
これは僕に与えられた仕事であり、役割だと思っているので今のところ止めようとは思いません。
特に喜多直毅クアルテットではそうした作品作りをして来ました。

喜多直毅クアルテット 喜多直毅(ヴァイオリン)北村聡(バンドネオン)三枝伸太郎(ピアノ)田辺和弘(コントラバス) 2017年10月22日@公園通りクラシックス
喜多直毅クアルテット
喜多直毅(ヴァイオリン)北村聡(バンドネオン)三枝伸太郎(ピアノ)田辺和弘(コントラバス)
2017年10月22日@公園通りクラシックス

今回、嬉しいことに喜多直毅クアルテットに竜太郎さんがゲスト参加してくれることになりました。
いつか僕の手のひらに手を差し込んでくれた時のように、彼の手が暗い穴や欠けたところに光と温度を与えてくれる気がします。

竜太郎さんのダンスがあんなに素晴らしいのはダウン症だからでしょうか?
元々の才能?
それとも人格?
きっとたゆまぬ努力もあるでしょう。
しかし僕には何とも言えません。
ただ彼が素晴らしいダンサーで、どんどん凄くなっていて、そして堪らないほどに魅力的な人だということは確実です。

先述のように、障がい者であっても無くても誰しも何かしら抱えている。
(それは相対的なものでは無く、本人にとって絶対的なものです。)
しかし輝くことは絶対に出来る。
もし何か不足や欠落した部分があっても、何かがそこを補う。
不思議なことですが、必ず何かがそこを補うと思います。
竜太郎さんを見ているとそんな事を考えさせられるのです。

4/27は本当にスペシャルな公演になります。
皆さん、ぜひぜひお越しください!


『喜多直毅クアルテット with 矢萩竜太郎』スペシャル公演
音と身体から迸る美しきエネルギー、その二つが出会う時、生まれいずる“場”。
喜多直毅クアルテット、活動開始以来初めてのゲスト参加公演!!!


2019年4月27日 喜多直毅クアルテット with 矢萩竜太郎 Sprcial Session @いずるば
2019年4月27日
喜多直毅クアルテット with 矢萩竜太郎 Sprcial Session
@いずるば

出演:喜多直毅クアルテット
   喜多直毅(作曲・ヴァイオリン)
   北村聡(バンドネオン)
   三枝伸太郎(ピアノ)
   田辺和弘(コントラバス)

特別出演:矢萩竜太郎(ダンス)

内容:喜多直毅オリジナル作品+即興ダンス

日時:2019年4月27日(土)19:00開場/19:30開演
会場:いずるば(沼部・多摩川)
   東京都大田区田園調布本町38-8

料金:ご予約¥4,000/当日¥4,500
ご予約・お問い合わせ:violin@nkita.net

出演者プロフィール

【喜多直毅クアルテット】
2011年、ヴァイオリニスト喜多直毅によって結成された四重奏団。演奏される楽曲は全て喜多のオリジナル作品であり、その出自とも言うべきアルゼンチンタンゴからフリージャズ、即興演奏、現代音楽まで、様々な要素を呑み込んで再構築された、比類なき音楽である。ロシア音楽を彷彿とさせる濃厚な旋律と共に、日本の伝統音楽に通ずる“間”の感覚を併せ持った彼らの音楽は、その深い精神性を高く評価されている。
4人のメンバーはそれぞれの楽器における国内屈指のタンゴ奏者と目されつつ、卓越した実力により、ジャンルを超えてシーンの最先端で活躍している。この4人においてこそ実現する超絶なる表現が、聴衆の気魂を揺さぶり“ドゥエンデ(Duende)”を呼び醒ます。

【矢萩竜太郎 即興ダンス】
ダンスのスタイルは常に“即興”。かたちに捉われない自分自身の表現を目指し、彼の存在がその場に与えるポジティブな影響は多方面で注目されている。
2014年夏、日本で6回、ドイツで4回の公演を齋藤徹、ジャン・サスポータスと共に成功させる 。
全10回の公演をドキュメンタリー「ダンスとであって・竜太郎10番勝負!」として発表(近藤真左典監督)。

2019年4月15日月曜日

最近行った活動の報告(翠川敬基さんとのデュオ、ヴァイオリンソロ、おとがたり『啄木といふ奴』)

忙しい日々を過ごしています。
演奏や作編曲の他にも様々な事務仕事があり、なかなか追いつけません。
こうして年をとっていくのかなぁ。
気がついたら70歳・80歳になっているのでしょうか。
もちろん地球が滅んでいなければの話ですが。

さて前回の記事で三つライヴの宣伝を書きましたが、本日それらが終わりましたのでその報告をしたいと思います。

4/11は翠川敬基さん(チェロ)とデュオでした。
この日のプログラムは第一部に完全即興、第二部に翠川さんや冨樫雅彦さんのオリジナル曲を演奏しました。
やっぱり!
完全即興、めちゃめちゃ良かった!
期待以上でした。

もちろん曲に基づいた即興演奏も面白さがあるのですが、翠川さんとのフリーインプロは更に楽しい。
歌もノイズもある。
人間的な喜怒哀楽の表情もあれば、硬質で冷たい物体もある。
このデュオはもっと行ける!
そう確信した夜でした。

二人の演奏を基本に、たまにゲストを迎えたトリオでも演奏して参りたいと思います。
次回の演奏は7月頃を予定しています。

終演後は西荻窪の老舗居酒屋・戎へ。
この日はやたら腹が減っていて、色々なものを注文したのです。
串焼きサーロインステーキとか。
何だか霊の話で盛り上がりました。
それとキリスト教のダメさについて。

僕がクリスチャンだと知って、『神なんかいない』『宗教なんて必要ない』と言って来る人が多いのです、飲んでる席とかで。
無宗教の人たちです。
ところが、神なんかいないんじゃないだろうか、宗教なんて必要ないんじゃないかと、日頃からグルグル考えているのがクリスチャン達です。
他にも、神様に出来ないこと、聖書の怪しさ・いかがわしさについても考えています。
信仰のない人たちより、もっと疑っています。
疑うことと信じること、両方必要だと思います。

翠川さんとは音楽的な相性が合うし話していても面白いので永くデュオをやっていけたらと思っています。
デュオのCDも作りたい。
身体だけは大事にして欲しいです。

翌日はヴァイオリンソロでした。
この日は編曲が間に合わない曲があって駄目だな〜と思いつつ会場入り(徹夜で書いていたのだが)。
第一部は即興演奏を行い、第二部は曲を弾きました。
ぶっちゃけ、ヴァイオリンソロは苦手で、弾いていて辛いと思うことが多々あります。
でも終わると何故かまたやりたくなるんですよね。

例えば大好きな昭和の歌『遠くへ行きたい』はやっと独奏用の編曲が出来て嬉しかったです。
それとシューベルトの『冬の旅』から『ライアー弾き Der Leiermann』という曲を演奏しました。
これはいつも来てくださるお客さんからのリクエスト。
本当はもう何曲か出来るかなと思っていたのですが、どの曲も結構カッチリした構造と和声進行を持っている。
しかもドイツ語圏のクラシック音楽に特有の“主張”がある。

冬の旅はどの歌も渋い味わいがあり、詩も良い。
旅人の孤独を歌っています。
とても好きな世界なのですが僕がヴァイオリン一本で奏でるのはちょっと難しいと思い『ライアー弾き』だけにしました。

ライアーとは楽器の名前で、ヨーロッパのハーディガーディみたいな絃楽器です。
辻音楽師が街角で弾いているような。

歌詞を読んでみたら、まるで自分の老後かと思わせる内容でした。
冬のキリギリスみたいな感じ。
でもとても素晴らしい歌詞だと思います。
解説と訳を載せたサイトがあったので、リンクを貼っておきます。

Franz Schubert Winterreise Op.89 解説及び歌詞対訳 淡野太郎

ちなみにライヴで弾いた『ライアー弾き Der Leiermann』の解説と訳詞は一番最後に載っています。

さて昨日は女優・長浜奈津子さんと石川啄木の朗読会でした。
自分で言うのも何ですが、素晴らしかったと思います。
充実の公演でした。
もちろん観にいらした方全員がそう思ったとは限りませんが、僕としてはまた是非再演したいと思う内容でした。

盛岡市内に点在する石川啄木歌碑の一つ
循環器医療センター前(旧盛岡中学図書庫跡)

奈津子さんはいつもは椅子に座って静かめに語る感じなのですが、昨日は一人芝居に近い感じ。
全身を使い、様々な声で啄木を呼び寄せていたと思います。
否、啄木や彼に関わる人々が憑依していたのかも知れません。
とにかく素晴らしいパフォーマンス。
お見事でした!

昨日は写真家の前澤秀登さんに撮影をお願いしていましたが、彼が撮影だけではなく照明や会場のしつらえまでやって下さいました。
舞台監督までも!
おかげで実に素晴らしい公演となりました。
この場を借りてお礼申し上げます。

僕は喜多クアルテットの公演を『沈黙と咆哮の音楽ドラマ』と銘打って行なっています。
音楽劇のつもりなのですが、曲順を考えるだけではなく、例えば一曲の一部分だけを抜粋して次の曲の途中に繋げたりとか、編集に近いことをやっています。
一本のドラマを作るための構成です。

今回は啄木の『一握の砂』と『ローマ字日記』からテキストを選び、喜多クアルテットと同じようなやり方で作り上げました(あ、もちろん奈津子さんの意見も入っているのですよ)。
ローマ字日記と短歌の書かれた実際の時系列にはあまりこだわらず、また日記の内容とその後に続く短歌の意味に関連を持たせすぎず、ただ読んだ印象を優先して繋いでみました。
研究者の方には叱られそうなやり方ですが、でも日記文と短歌の間に不思議なエコーを作ってみたかったのです。

そして音楽。
啄木で僕がイメージするのは、下宿屋の狭い部屋で一人横になり裸電球をぼんやりと眺めている彼。
或いはノートに次々に思い浮かぶ言葉を書き留めていく彼。
一心不乱に、です。
また浅草や吉原で散々飲んで騒いで、気炎を吐き、女郎を抱いて、しかし夜更けに春日通りの坂道を本郷まで一人とぼとぼ歩いていく彼。
その時の彼の表情、というか表情筋を想像して音楽を作りました。
その表情筋の動きや緊張・弛緩を自分の顔面でシュミレートすると、何だか音になるのです。
面白いですよね。

今回の作品、僕がテキストを選んだことによって全体に乾いてザラッとした感触になったかと思います。
孤独や苦悩の色が濃かった。
しかし奈津子さんのおかげで色や光が生まれました。
彼女が女性の登場人物(妻・節子や啄木が好いた女郎等)を出現させてくれたのも良かった。

しかしこの公演を通して発見できたものは何だろう?
啄木がこんなに魅力的だった!とか、こんなに素晴らしい歌を残していた!ってこともあるかも知れない。
でもそれ以上に、自分がこの人の残したものに触れる時、まるで柘榴のように心が張り裂けるということ。
自分がそういう人間だということ。
それが発見・再発見出来て良かったです。
とにかく有意義な公演が出来て幸せでした。

次回、長浜奈津子さんとの自主公演は11/16です。
会場は成城学園・第Q藝術。

演目は何と!太宰治『人間失格』です。
何という大作、何というチャレンジ!
皆さん、是非お越しください!

(実はまだ人間失格の読みには入っておらず、今読んでいるのは尾崎放哉です。)

2019年4月11日木曜日

直近の公演:4/11翠川敬基さん(チェロ)と即興デュオ、4/13ヴァイオリンソロ、4/14長浜奈津子さん(女優)と朗読会

週末から日曜日にかけてライヴがあります。

本日はチェロの翠川敬基さんと即興演奏のライヴ。

チェロの翠川敬基さんとは先月、ダンサーの角正之さんと共に三人で即興パフォーマンスを行いました。
実は神戸在住の角正之さんの方がたくさんお客さんを呼んで下さって、東京側の主催者・ホストとしては余り集客が出来ず情けないやら申し訳ないやら。
でもお客さんからは大変好評を頂きました。

普段翠川さんとは短いテーマをモチーフとした即興演奏を行っています。
テーマが即興演奏への滑走路となり、自由に展開、そしてまた元のテーマに着地すると言う形です。
しかし角さんとの即興パフォーマンスでは一時間の即興演奏を行いました。
このデュオでは初めての完全即興だったかも。
翠川さんが賛成してくれたら今日はこんな演奏もして見たいと思います。
テーマとして演奏している翠川さんや富樫雅彦さんのオリジナル曲も魅力的ですので、こちらも演奏いたします。

喜多直毅(ヴァイオリン)翠川敬基(チェロ)
喜多直毅(ヴァイオリン)翠川敬基(チェロ)

出演:喜多直毅(ヴァイオリン)
   翠川敬基(チェロ)
内容:即興演奏

日時:2019年4月11日(木)18:30開場/19:30開演
会場:音や金時(西荻窪)
   東京都杉並区西荻北2-2-14喜志コーポB1
   03-5382-2020

料金:2,500円+オーダー
予約:必要ありません。そのままお越し下さい。


今週土曜日はヴァイオリンソロのライヴを行います。
即興演奏の他、フォルクローレのめちゃめちゃ好きな切ないナンバー、アルゼンチンタンゴ、シューベルトの『冬の旅』から一曲演奏したいと思います。
実はヴァイオリン独奏で楽曲を弾くのはそんなに得意ではなく、いつも「ギタリストかピアニスト来てくれー!」と思っていたのですが、最近「人は皆孤独」「一人で生まれて一人で生き一人で死んでいく…」とか考えているのでヴァイオリンソロがピッタリな心境です。

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
芭蕉

僕は超名盤だと思っているのですが、皆さん、エネスコ演奏によるバッハの無伴奏ソナタとパルティータを聴いた事ありますか?


これを聴いて実に美しく説得力があると感じました。
ヴァイオリンで演奏されるバッハでは、エネスコの録音が最も好きです。
何かこう斜視の人に睨まれている感じがする。
指からダラダラと血が流れている感じもする。
そして『一人で弾いている意味』を感じるのです。

無伴奏ソナタとパルティータは曲によってフーガだったりして、単旋律楽器であるヴァイオリンに対してポリフォニーを要求する。
しかしエネスコの場合、余りポリフォニーを追求した演奏に聴こえず、むしろ一人で立っている有様にこそ価値を置いている気がするのですがどうでしょう?
あ、もちろんポリフォニーを完全無視しているわけではありませんが、その佇まいからして孤高の音楽だと感じます。
(僕には真似の出来ない演奏です。)

喜多直毅(ヴァイオリン)
喜多直毅(ヴァイオリン)

出演:喜多直毅(ヴァイオリン)
内容:即興演奏、その他
日時:2019年4月13日(土)17:00開場/17:30開演
会場:Bagus(高津・溝の口)
   神奈川県川崎市高津区二子5-6-8
   070-5074-8541
   東急田園都市線高津駅下車・徒歩2分
料金:予約¥2,500 当日¥3,000(+ドリンクオーダー)
予約:violin@nkita.net(喜多)
   バグース 070-5074-8541(18:30~24:00)

翌日4/14はいよいよ女優の長浜奈津子さんとの朗読ユニット・おとがたりで啄木の短歌と“ローマ字日記”を元にした作品を上演します。
昨日もリハーサルをしたのですが、稽古を重ねれば重ねるほど啄木の姿が浮かび上がってきます。
短歌の数々は割とランダムに配置してみたのですが、ローマ字日記と響き合って複雑なエコーが作り出されました。
もちろん難解なものではなく、一首一首、そして彼の文章の一つ一つが情趣に富んでいます。

彼は様々なエピソードに事欠かなく、例えば世話してくれた人の恩を仇で返すようなことをしたり、家族(特に奥さん)をほったらかしにして女遊びや浮気を繰り返したりしている。
文学の才能はめちゃめちゃあるのですが、人間としては“困った人”なのです。
甘ったれでもあり、未熟でもあり、社会人としての常識に欠ける。
よく言えば自分に正直な人、悪く言えばエゴイストです。

普通、こう言う人は友人にも仕事仲間にも嫌われて見放されます。
社会的制裁と言っても良く、孤立へと追いやられます。
そんな彼が『一握の砂』や『悲しき玩具』で孤独や悲しみを歌い、ローマ字日記では他人をディスりながらも漆黒の葛藤を書き綴っている。
彼に酷い目に遭わされたり、ディスられた人には、彼の言葉たちを読んでどんな風に思ったか気になるところです。

悲しい、辛い、死んでしまいたい。
こんなネガティヴワードが頻出する歌集・日記を読んでいて思うのは、彼が“欠け”や“破れ”を多く持つ人間だったからこそ、その欠如からまるで雨漏りの様に悲しい言葉たちが滴って来たのではないかということです。
破れた障子の穴から吹き込む冷たい風の様に、狂おしいほどの望郷の念が胸に渦巻く。
ひび割れたグラスに酒を注いでも、“我”や“利己心”は満たされず、常に乾く。
これらは努力とか頑張りで何とかなる次元の問題ではなく、もっと人間の本質というべきものだと思います。
多かれ少なかれ、人は誰でも破れや欠けを持っている。
啄木はそこに悩み、苦しみ、葛藤し…、同時に大きく感覚を開いて言葉たちを掴み取っていたのではないでしょうか。

実は僕は『啄木はこうして短い人生を精一杯駆け抜けたのです』とか『困った人物だったけど多くの人に愛されました』、とか言う評伝があまり好きではありません。
何だかそこで終わってしまう気がするのです。
もちろん『クズ野郎でした』みたいなまとめも嫌いです。
比類なき才能の人、それは確実。
でも天才歌人という呼称だけでも足りない気がする。
一体彼を何と呼べば良いのでしょう?
そうです、『啄木といふ奴』です。

『啄木といふ奴 ~A Guy called Takuboku~』

啄木といふ奴 A GUY CALLED TAKUBOKU 2019年4月14日@茶会記 長浜奈津子(朗読)喜多直毅(ヴァイオリン)
啄木といふ奴 A GUY CALLED TAKUBOKU
2019年4月14日@茶会記
長浜奈津子(朗読)喜多直毅(ヴァイオリン)

出演:おとがたり
   長浜奈津子(朗読・歌)
   喜多直毅(ヴァイオリン)
内容:石川啄木作品の朗読、歌とヴァイオリンの演奏

日時:2019年4月14日(日)13:30開場/14:00開演
会場:喫茶茶会記(四谷三丁目)
   東京都新宿区大京町2-4 1F
   03-3351-7904

料金:予約¥3,700/当日¥4,200(共にワンドリンクオーダー)
ご予約・お問い合わせ:
   violin@nkita.net(喜多)
   nappy_malena@yahoo.co.jp(長浜)

※小学生以下のお子様はご入場頂けない場合がございます。

2019年4月7日日曜日

田中信正さんとのデュオ+西嶋徹さんとのデュオ=8/17のトリオ

喜多直毅(ヴァイオリン)田中信正(ピアノ)
喜多直毅(ヴァイオリン)田中信正(ピアノ)
2019年4月6日@雑司ヶ谷エルチョクロ
本番前のリハーサル。

ピアニスト達の呪いがこんなに強いとは!
一昨日、ピアニスト達をディスるTweetをしたのです。
そしたら今日の田中信正さんとのライブの最中、ヴァイオリンを弾きながら田中さんに合図をしようとしたらピアノの蓋の角に思い切り頭をぶつけてしまいました。
今もコブになっており、歯を食いしばると痛みます。
頭蓋骨にヒビが入ったか、脳に骨の破片が突き刺さっているかもしれません。

きっと罰が当たったのです。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
もう呪わないでください。

さて今日のライヴが終わって次のブッキングをする時、田中さんとのデュオに西嶋徹さん(cb)に入ってもらったらどうかと思いました。
田中さんとのデュオでは一昨年『Contigo en La Distancia』という中南米音楽のアルバムをリリース。
それから緩やかにライヴ活動を行なっています。
西嶋徹さんとも二年程前からデュオの演奏を始め、今年二月の下旬、日本の演歌を集めたアルバムのレコーディングを終えました(ハイレゾ配信される予定です)。

喜多直毅(ヴァイオリン)西嶋徹(コントラバス)
喜多直毅(ヴァイオリン)西嶋徹(コントラバス)
2019年2月23日@渋谷・公園通りクラシックス

演奏する曲目は違っても、田中デュオと西嶋デュオは僕の中で地続きで地下水脈で繋がっているのです。
多分二つのデュオを一緒にしたトリオはうまく行くのではないかと思っています。
もとい、思った以上&予想外のものになると最高に嬉しいです。

まだ時間や料金などの詳細は出ていないのですが、8/17(土)は雑司ヶ谷エルチョクロへ絶対にお越しください!

出演:喜多直毅(ヴァイオリン)
   田中信正(ピアノ)
   西嶋徹(コントラバス)
内容:暗黒&ロマンティック中南米の歌、昭和の演歌

日程:2019年8月17日(土)時間未定
会場:雑司が谷TANGO BAR エル・チョクロ
   〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-2-8
   03-6912-5539

今週土曜日は高津のバー・Bagusでヴァイオリンソロのライヴを行います。
いつも即興演奏を行なっていましたが、今回は是非“曲”も演奏したいと思います。
もちろんちゃんと編曲したものを、です。

前にヴァイオリンソロ用に“Como Dos Extranos ”というタンゴの歌の曲を編曲して弾いたのですが、これは余り良くありませんでした。
お客さんの前で演奏した後、こんなことを言うのはダメなのですが、言います。
良くありませんでした。
(音数を増やしすぎました。)

ただこの前“Cancion para Mi Guitarra Sola ~我がギターソロの為の歌~”というフォルクローレの歌を編曲して弾いたらなかなか良い感じでした。


本当に大好きな曲で、今まで様々なアレンジ(ピアノやギターの方と)で演奏して来ました。
しかしやはり“Cancion para Mi Violin Solo ~我がヴァイオリンソロの為の歌~”として演奏したい、ヴァイオリン独奏で。

ネットで歌詞を検索してもちっとも見当たらず…。
先日スペイン語やタンゴの歌に詳しい友人が見つけ出して送ってくれた歌詞がこちらです。

Canción Para Mi Guitarra Sola

Si tengo un dia que dejar...
Mi vida en largo guitarrear...
Te ruego siempre estes aqui... en mi ,
Mi flor , mi honda raiz ...
Guitarra, hermana ,novia,luz...
Alumbra siempre nuestro andar 
Con ese arpegio que me das ...
Cuando en un Do menor 
Te pulso el corazon ...

Estoy hoy en un rincon...mmm y pronta para  comenzar ...
Algun cantor aguardara con su cancion , que juntos vamos a empujar ...
Guitarra compañera  fiel ...
La vida un dia nos unio...
Y juntos somos vos y yo...
A caso como un Dios que el cielo perdono ...
Guitarra si un dia nuestro Sol, se apaga en un amanecer...
Tus cuerdas carne de los dos...
Diran al mundo nuestro adios...

Si tengo un dia que dejar mi vida en largo guitarrear ...
Te ruego siempre estes aqui , apretadita en mi ,
Mi flor , mi honda raiz 
Guitarra , hermana , novia , luz ...
Alumbra siempre nuestro andar 
Con ese arpegio que me das
Cuando en un Do menor te pulso el corazon…

何やら素敵そうな内容なので、Google翻訳で英語に直し、そこからまた日本語に訳してみたらこんな感じ。

我がギターソロの為の歌

もし僕の日々が過ぎ去って行くものなら
この人生は緩やかに奏でられるギター
お前よ、いつもここにいてくれ、僕の手の中にしっかりと…
僕の花、深い根っこ
ギター、妹、恋人、光
お前はCマイナーのアルペジオで僕の歩みを照らす
僕の魂を打つ

僕は今日曲がり角にいる
今すぐにでも歩き出せる
カントールは待っている、共に前進出来る歌を携えて
誠実な道連れ、ギターよ
ある日、人生は僕らをつなぎ合わせる
そして僕らは一緒、
僕らとは君、そしてこの僕
(次の4行は分からない)

もし僕の日々が過ぎ去って行くものなら
この人生は緩やかに奏でられるギター
お前よ、いつもここにいてくれ、僕の手の中にしっかりと…
僕の花、深い根っこ
ギター、妹、恋人、光
お前はCマイナーのアルペジオで僕の歩みを照らす
僕の魂を打つ

誤訳&意訳、そのほかメチャメチャです。
どなたか正しい訳をして頂けませんか?
Yahoo!知恵袋で聞くと不愉快かつ恐ろしい思いをすることが多いので…。

とにかく僕の間違いだらけの訳でも、何だか心惹かれる歌詞です。
この“ギター”を“ヴァイオリン”に置き換えて演奏したいのです。

それとシューベルトの“冬の旅”からどれかヴァイオリン独奏で弾いて欲しいとリクエストも頂いています。
そして翌日に四谷三丁目の茶会記で長浜奈津子さんとの朗読会『啄木といふ奴』ではやはりヴァイオリンソロの曲を作って弾かなければなりません。
フライングでルール違反ではありますが、前日のヴァイオリンソロライヴでも弾けたらと思います。

出演:喜多直毅(ヴァイオリン)
内容:即興演奏、その他

日時:2019年4月13日(土)17:00開場/17:30開演
会場:Bagus(高津・溝の口)
   神奈川県川崎市高津区二子5-6-8
   070-5074-8541
   東急田園都市線高津駅下車・徒歩2分

料金:予約¥2,500 当日¥3,000(+ドリンクオーダー)
予約:violin@nkita.net(喜多)
   バグース 070-5074-8541(18:30~24:00)

ちょっとヴァイオリンソロに関して。
ヴァイオリンという楽器は基本的に単旋律楽器で、“歌”的なのです。
なので一人で楽曲を奏する場合は、どうしてもメロディの合間合間に和声進行を示すような重音やアルペジオを挟む必要がある。
僕はどうしてもこれがしっくり来ない。

音域や音色のせいもありますが、何だか派手で華麗になってしまう。
そして技巧を見せる結果となり、巨匠主義的な色合いが出てくる。
ヴァイオリン協奏曲のカデンツァみたいになってしまうのです。
一つのライヴの中にそういう曲も必要ではありますが、要はバランス感覚なのでしょうか。

どうしたものか、といつも思っているのですが、先日ある人から『それはメロディに対するリスペクトが足りないからだ』『単旋律で弾いてもメロディは和声を内包しているものだ』と言われました。
確かにそうだと思います。
あまり音を増やしてガチャガチャ弾く必要はないのかな…。
ヴォイスで見事な即興を行うLauren Newton氏、そして間合いや素晴らしい音色とその変化で宇宙的な世界を作り出せる尺八の海童道祖氏。
アラブ音楽のヴァイオリンの名手たち。
学ぶところが多いです。

それと気になったこと、もう一つ。

有名な演奏家が必ずしも素晴らしい音楽をやっているわけではない。
こんなテーマは幾度となく話されてきたことで、今更話題にすることではないかも知れない。
もちろん素晴らしい音楽をやっていれば人気が出て、客席がすぐに埋まるってことは当然だと思います。
ダメな演奏・手を抜いた演奏だから、お客さんが少ししか集まらないってこともザラにあって、それは法則といって過言ではない。

しかししかし。
驚くほど見事な演奏で、何だコレ!?
こんなの今まで聴いた事無い!って演奏が行われている会場にお客が二人ってこともあるのですよ。
僕はそういう現場を何度となく見てきました(観客として)。
何で皆んな聴きに来ないんだろう!?
絶対に聴いた方が良いぞ!
そう思って友達に勧めてみたりもして、数人は虜になったようです。

しかし“好み”の問題は大きい。
どうやら僕の好みは世の大多数とは違うのだなぁと感じることが多いです。

音楽ってやつは多くの人に聴かれようが聴かれまいが超然としてそこにあるもので、その存在だけは揺るぎないものではないかと思います。
例えば高山に咲く美しい花々の様に、誰に見られなくても美しい姿でいる。
下界でCDのセールス何百万枚、動員数何万人とか騒いでいても、高山の頂上では美しい花が我関せずで風に揺れている。
誰にも摘む事の出来ない崖の岩と岩の間にも、その花は在る。
音楽家は黙々と山を登り続けるしかない。
(恐らくそれはリスナーにも当てはまると思う。)
登った者だけがその花を見つけることが出来る。
山道には遭難者の屍が累々と…。
でも自分から登らなければ一生美しい花は見られない。

音楽は聴かれなければ意味がない。
そう思う。
しかし聴かれることを自ら求めず、ひっそりと、そして神の様に超然として在る音楽に何とか手を触れられたらと最高に嬉しいです。
それを望むことは果たして愚かなことだろうか、一生不可能なことなのだろうか、そして無益なことなのだろうか?
花は幻なのでしょうか。

僕の理想は登山者ですが、ある先輩ミュージシャンには“ひとり博報堂”と呼ばれています。
まだまだ登山道の入口にも立っていない。
下界で目の前の仕事に追われ、様々な不安や悩みを抱えてオロオロしているのです。
この生き方、そしてこの日々は音楽にどんな形で表れるのでしょう。

2019年4月5日金曜日

『キンダイチ君はシット深い、めめしい男だ』by 啄木



4/14に四谷三丁目・茶会記で石川啄木の朗読会を行います。
朗読は女優の長浜奈津子さん。
昨日は朝方までLINEで話し合いながら仮の台本を作りました。

今回は『ローマ字日記』と短歌からテキストを選んでいます。
他にも色々と良い文章があるのですが、あまり欲張ってしまうとおっそろしく長い公演になってしまいます。
ホント、宝石の中から宝石を選りすぐるって難しい。

今日は奈津子さんとリハーサル。
奈津子さんは余り体調が良くない中来てくださったのですが(激しい鼻水&鼻づまり)、何回か通すうちに何かが乗り移ったかの様な朗読になりました。
何と鼻づまりが治ったのです!
役者魂、ここにあり。

女性が啄木の書いたものを読む場合、やはり男性とか女性とかの性別が気になるのかなと思っていましたが、それは全く僕の杞憂でした。
とても自然な形で啄木がポンと現れる。
そして短歌を詠んだり、親友との語らいについて回想したり、妻・母・妹に何かを語りかけたり、お金がないことを呻吟したりする。
そこにいるのは長浜奈津子ではなく、石川啄木なのです(そして啄木を通して語られる人々)。
お見事!
奈津子さんに『素晴らしい!これで完成だね!』と言ったら『まだまだ!』と返されました。
でも作品が形になってきて、そこに啄木が姿を現し始めて本当に良いリハーサルでした。

朗読のみの公演ならばどんなテキストでも読めるのかもしれません。
しかし音楽がそこに加わるとなると、ちょっとそう簡単には行かないなと思いました。
これは僕の才能の問題でもあるのですが、啄木の二つある歌集の二つめ『悲しき玩具』にはどうも音楽を感じないのです。
というか、音楽にすると橋田壽賀子ドラマの劇伴みたいになってしまうのです。
なので、『悲しき玩具』は諦めて、『一握の砂』にターゲットを絞ることにしました。
『一握の砂』の言葉たちの方がまだ音楽を秘めている、水底で音楽に繋がっている、音が聴こえてくる。

そして啄木の日記。
やはりローマ字の日記と他の普通の日記を比べると、内面の吐き出し具合が格段に違う。
ローマ字日記は実に赤裸々なのです。

お金が無くなって下宿屋を追い出されそうになった時、親友の金田一京助が自分の蔵書を売り払ってまでして啄木を助けたのは有名な話。
啄木も日記にそのことを書き記し心から感謝している。
ところがその後に書かれたローマ字日記では、恩人の金田一君のことを女々しいとか嫉妬深いとか、めちゃめちゃディスっているのです。
ひっで〜!!!って思うでしょ?
酷いですよ。

だけど良く考えたら、自分が好きな人・尊敬する人・世話になった人でも、感謝しつつもどこか心の片隅で『この人のここが困ったところだ』とか思う時がある。
厳密に言えば、常に100%、その人を好きで尊敬していて感謝に満ち溢れているわけではないと思うのです。
たまには『この人のここが嫌だ』と思ってしまうこともある。
ある点においては尊敬するし感謝するけど、他の点においては嫌いだし軽蔑する、ってことは往々にしてありますよね。
ローマ字日記には、啄木はそんなことも包み隠さず書いたわけです。
死んだ後に皆んなに読まれるわけですが。

例えば僕も誰かに親切にしてあげたとする。
けれど相手が啄木みたいなやつだったりしたら、女々しいとか嫉妬深いとかローマ字日記に書かれているかも知れませんよね。
女子っぽい鍵付き日記帳とかに。
あまり面白くありませんが、こういうことも甘んじて受け入れて行くのが渡世なのでしょう。

今回、テキストの選択をしているのは主に僕なのですが、どうしても“趣味”が反映されて暗く深刻になりがちです。
(たまに他愛ないテキストも入れるようにしています。)
奈津子さんには「テキストから喜多カルの音楽が聴こえてくるー!」と言われました。

あー、確かに暗い方に偏っちゃうなぁと思っていました。
すると啄木の日記に良い文章がありました。
それは『全てを味わい、今を生きよ』というような内容の文章です。
もちろん朗読の台本にも使わせて頂きます。

子供の頃は神童ともてはやされ、何不自由ない暮らしをしていた啄木。
しかしその後に多くの辛酸を舐めました。
歌人としての評価は高かったものの、小説家としては余り認められなかった。
性格が災いして人と対立することも多かったし、お金を湯水のごとく使いいつも前借り&借金生活。
若いのに一家を養っていかなければならず(父親が突然家出)、その上家族が次々と結核に。
薬代さえ無く、生まれたばかりの子供を失い、母を失い、そして自分も若くして死んでしまった。

確かに世間の目から見れば、彼の人生=不幸なのでしょう。
でももし文学の神様がいらしたならば、彼は最も恵まれて祝福された人生を歩んでいたのではないかと思います。

悲しみばかり見えるから
この目をつぶすナイフが欲しい
そしたら闇の中から
明日が見えるだろうか
限り知れない痛みの中で
友情だけが見えるだろうか
(中島みゆき『友情』より)

これは啄木ではなく、中島みゆきさんの歌の歌詞なのですが、この“悲しみばかり見える目“を啄木は持っていたのではないか。
借金の督促状が見えないように目をつぶすナイフは持っていたかも知れない。
けれど悲しみそのものを見る目をつぶすナイフは持っていなかった。
こんな目さえなければ・ナイフさえあれば、と願い続けて終わった人生かも知れないが、徹頭徹尾、悲しみには向き合い三十一文字に表した。

「えー?それで良いの?ハッピーエンドじゃないの?」
「誰も救われないじゃん!」
「ちっとも癒されない!」
多分、文学の神様はそういった種類のご利益は下さらないです。
『こんなの貰っても困る…』的なのが、文学の神様からの贈り物な気がします。

啄木は悲しみを悲しみとしてちゃんと全て味わい、闇の中で“今”を生きた人なのではないか。
彼の短歌を読む時、血の中にDNAレベルの悲しみがみなぎり身体中を駆け巡る。
彼を”センチメンタリズムの人”と分類する人たちがいるけれど、決してそうではないと思う。
啄木って一見悲しみに耽溺しているようで、ちゃんと俯瞰する目を持った怜悧な人だと思います。
“今”を生きていないと、そりゃずぶずぶに耽溺してしまうさ。

2019年4月14日 おとがたり『啄木といふ奴』公演@喫茶茶会記 朗読:長浜奈津子、ヴァイオリン:喜多直毅
2019年4月14日
おとがたり『啄木といふ奴』公演@喫茶茶会記
朗読:長浜奈津子、ヴァイオリン:喜多直毅

出演:おとがたり
   長浜奈津子(朗読・歌)
   喜多直毅(ヴァイオリン)
内容:石川啄木作品の朗読、歌とヴァイオリンの演奏

日時:2019年4月14日(日)13:30開場/14:00開演
会場:喫茶茶会記(四谷三丁目)
   東京都新宿区大京町2-4 1F
   03-3351-7904

料金:予約¥3,700/当日¥4,200(共にワンドリンクオーダー)
ご予約・お問い合わせ:
   violin@nkita.net(喜多)
   nappy_malena@yahoo.co.jp(長浜)

※小学生以下のお子様はご入場頂けない場合がございます。

2019年4月1日月曜日

石川啄木『食うべき詩』

喜多直毅(ヴァイオリン)
2015年7月18日@もりおか啄木・賢治青春館(岩手県盛岡市)
黒田京子(ピアノ)と共に啄木からインスパイアされたオリジナル作品を演奏した。

このところ石川啄木の本を読んでいます。
4/14に四谷三丁目の茶会記で女優・長浜奈津子さんと行う朗読会のための読書です。
歌集『一握の砂』『悲しき玩具』は大好きでたまに読んでいますが、『ローマ字日記』も面白い。
他に評伝や研究書も山積みなのですが、一冊ずつ味わっていると本当に時間が足りない。

何故、彼の作品に、そして人物にこんなにも心惹かれるのかと思っていました。
じっと手を見つめていると啄木の三行が浮かび上がってくるのです。
上野駅に行くと岩手弁が聞こえて来て、人混みの中に上京したての垢抜けない自分が見えるのです。

しかしそれは『表れ』としての短歌を読んだ感想です。
ここで彼の文学に対する考え方を知ると、もっと僕の中の“啄木ファン心理”が分かるのではないかと思いました。
そこで遭遇したのが以下の文章。
明治42年に東京毎日新聞に掲載された詩の論評『食うべき詩』の一部分です。

そうしてこの現在の心持は、新らしい詩の真の精神を、初めて私に味わせた。
「食うべき詩」とは電車の車内広告でよく見た「食うべきビール」という言葉から思いついて、かりに名づけたまでである。

 謂う心は、両足を地面じべたに喰っつけていて歌う詩ということである。実人生と何らの間隔なき心持をもって歌う詩ということである。珍味ないしはご馳走ではなく、我々の日常の食事の香の物のごとく、しかく我々に「必要」な詩ということである。――こういうことは詩を既定のある地位から引下すことであるかもしれないが、私からいえば我々の生活にあってもなくても何の増減のなかった詩を、必要な物の一つにするゆえんである。詩の存在の理由を肯定するただ一つの途である。

〜中略〜

便宜上私は、まず第三の問題についていおうと思う。最も手取早くいえば私は詩人という特殊なる人間の存在を否定する。詩を書く人を他の人が詩人と呼ぶのは差支えないが、その当人が自分は詩人であると思ってはいけない、いけないといっては妥当を欠くかもしれないが、そう思うことによってその人の書く詩は堕落する……我々に不必要なものになる。詩人たる資格は三つある。詩人はまず第一に「人」でなければならぬ。第二に「人」でなければならぬ。第三に「人」でなければならぬ。そうしてじつに普通人のもっているすべての物をもっているところの人でなければならぬ。

 いい方がだいぶ混乱したが、一括すれば、今までの詩人のように直接詩と関係のない事物に対しては、興味も熱心も希望ももっていない――餓えたる犬の食を求むるごとくにただただ詩を求め探している詩人は極力排斥すべきである。意志薄弱なる空想家、自己および自己の生活を厳粛なる理性の判断から回避している卑怯者、劣敗者の心を筆にし口にしてわずかに慰めている臆病者、暇ある時に玩具を弄ぶような心をもって詩を書きかつ読むいわゆる愛詩家、および自己の神経組織の不健全なことを心に誇る偽患者、ないしはそれらの模倣者等、すべて詩のために詩を書く種類の詩人は極力排斥すべきである。むろん詩を書くということは何人にあっても「天職」であるべき理由がない。「我は詩人なり」という不必要な自覚が、いかに従来の詩を堕落せしめたか。「我は文学者なり」という不必要な自覚が、いかに現在において現在の文学を我々の必要から遠ざからしめつつあるか。

 すなわち真の詩人とは、自己を改善し自己の哲学を実行せんとするに政治家のごとき勇気を有し、自己の生活を統一するに実業家のごとき熱心を有し、そうしてつねに科学者のごとき明敏なる判断と野蛮人のごとき卒直なる態度をもって、自己の心に起りくる時々刻々の変化を、飾らず偽らず、きわめて平気に正直に記載し報告するところの人でなければならぬ。

 記載報告ということは文芸の職分の全部でないことは、植物の採集分類が植物学の全部でないと同じである。しかしここではそれ以上の事は論ずる必要がない。ともかく前いったような「人」が前いったような態度で書いたところの詩でなければ、私は言下に「すくなくとも私には不必要だ」ということができる。そうして将来の詩人には、従来の詩に関する知識ないし詩論は何の用をもなさない。――たとえば詩(抒情詩)はすべての芸術中最も純粋なものであるという。ある時期の詩人はそういう言をもって自分の仕事を恥かしくないものにしようと努めたものだ。しかし詩はすべての芸術中最も純粋なものだということは、蒸溜水は水の中で最も純粋なものだというと同じく、性質の説明にはなるかもしれぬが、価値必要の有無の標準にはならない。将来の詩人はけっしてそういうことをいうべきでない。同時に詩および詩人に対する理由なき優待をおのずから峻拒すべきである。いっさいの文芸は、他のいっさいのものと同じく、我らにとってはある意味において自己および自己の生活の手段であり方法である。詩を尊貴なものとするのは一種の偶像崇拝である。
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 詩はいわゆる詩であってはいけない。人間の感情生活(もっと適当な言葉もあろうと思うが)の変化の厳密なる報告、正直なる日記でなければならぬ。したがって断片的でなければならぬ。――まとまりがあってはならぬ。(まとまりのある詩すなわち文芸上の哲学は、演繹的には小説となり、帰納的には戯曲となる。詩とそれらとの関係は、日々の帳尻と月末もしくは年末決算との関係である。)そうして詩人は、けっして牧師が説教の材料を集め、淫売婦がある種の男を探すがごとくに、何らかの成心をもっていてはいけない。
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~

全文 『弓町より 石川啄木』青空文庫 

かなり断言的かつ強い言葉で書かれていますが、本当に『そうだー!』と賛成してしまいます。
実は僕もかなり近い考え方で音楽作りをしています。
さぁ、詩人を“芸術家”や“音楽家”に置き換えて読んでみよう。

しかし現代においては、啄木や僕のような考え方でもって作品作りを行うのは、野暮ったくスマートではないのかも知れません。
実は野暮ったいもスマートもなく、ごく自然なことをしているだけなのですが。
皆んな“アート”や“芸術”に対する憧れが強過ぎる。

芸術作品を作ろう!と思った途端、その作品は芸術ではなくなり、“芸術作品みたいなもの”になる。
芸術かどうかなんて関係なく、何だかこうするしかなくて・こんなふうにしてたら・こうなっちゃった、みたいなのを人が芸術と呼ぶかも知れないし呼ばないかも知れない。
そういうものだと思います。

皆んなや自分が思っている“芸術”をモデルに作品作りを行うと、何だかつまらないものが出来てしまう。
どうでも良いものが出来る。
褒めてくれるのは結局その“モデル”を念頭に見に・観に・聴きに来ている人たち。
モデルに似ていたり、ちょっと斜め上だったりすれば褒められる。
経験者が言うのだから間違いありません。

部屋に現れた男の霊、今週土曜日(4/6)は田中信正さん(Pf)と雑司ヶ谷エルチョクロでライヴ!!!

あれはいつ頃だったか、15年くらい前だったかと思います。
もしかしたらそれ以上前かも。
僕は荒んだ暮らしをしており精神状態も悪く、毎日イライラして過ごしていました。

そんな精神状態を反映してか家の中は雑然としてモノが溢れ、決して快適な住まいとは言えませんでした。
不思議なことに頻繁に玄関の照明の電球が切れたり、買ったばかりの電化製品が壊れたりしました。
大嫌いなゴキブリもクモも出ました。
(今同じ部屋に住んでいますが、電気は切れないし虫も出ません。)

ある晩、寝室で寝ていたらパッと突然目が覚めました。
普通目が醒める時って眠りからモヤモヤッと現実の世界に戻って来る感じですよね。
目覚めた後も多少ボーッとしていたり眠気が残っていたりする。
ところがその時は違っていて、まるで今まで起きていたかのように目が覚めたのです。
突然目がパチッと開いた感じです。
あんな事は初めてでした。

普通にベッドに横になっていましたが身体が動かない。
いわゆる金縛りです。
でも首だけは何とか動かすことが出来ました。
ふと横を向くと、暗闇の中、そこに一人の男が立っていました。

身長が低く、瘦せぎす、肌は土気色、頬はげっそりとこけていました。
髪型は短いパンチパーマ。
服装はヤンキーが良く着ているナイロン生地のスウェットの上下です。
ニッセンの通販で売っているようなやつ。
そんな見た目の男が全身薄紫の弱い光に包まれて立っていました。
目はどこを見るでもなし、虚空を見つめている。

「わぁ、霊ってこんなふうに見えるんだなぁ」
少しも恐怖を感じることなく、男の姿を観察していました。
すると頭の中にその男からのメッセージが流れ込んできました。
メッセージといっても「俺はこの近くで30年前に刺されて死んだ」という情報が入ってきた感じ。
なぜウチに勝手に入ってきたのかの情報は何も無し。

男はしばらくベッドの横に立っていましたが、次第にゆっくりと滑るようにキッチンの方へ移動して行きました。
普通に歩いたら上下に体が動きますが、完全に水平移動。
そして電子レンジの前で少しずつ向きを変えながら、霧が失せるように消えて行きました。
ホログラムを見てるみたいでした。

あれから紆余曲折。
生き方にも暮らし方にも考え方にも変化があり、同じ部屋に住んでいても霊は見ていません。
たまに怖い空気が部屋に充満することがありますが、そういう時は不動明王真言や賛美歌をかけています。
それと霊は生きている人間の性エネルギーには勝てないので、エロサイトの動画を再生したりしています。
霊に脅かされることもなくなりめでたしめでたし。


さて今週土曜日は素晴らしいピアニスト・田中信正さんと雑司ヶ谷のエルチョクロでライヴがあります。
このデュオではラテン音楽の暗めの曲をピックアップして演奏しています。
(僕の演奏する曲は暗いのが多くて恐縮です。)
皆さん、ぜひお越しください!

喜多直毅(ヴァイオリン)田中信正(ピアノ)
喜多直毅(ヴァイオリン)田中信正(ピアノ)
2017年8月24日@gallery feel art zero(名古屋)

出演:喜多直毅(ヴァイオリン)
   田中信正(ピアノ)
内容:ラテン音楽、etc.

日時:2019年4月6日(土)14:00開場 15:00開演
会場:雑司が谷TANGO BAR エル・チョクロ
   〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-2-8
   03-6912-5539

料金:ご予約¥3,500 当日¥3,800
予約・問合せ:エル・チョクロ
   03-6912-5539/info@el-choclo.com
   violin@nkita.net(喜多)


先日、上野公園と千鳥ヶ淵で花見をしてきました。
上野公園の桜のファンの皆さん、ごめんなさい。
僕はやっぱり千鳥ヶ淵の方が好きです。
何だか格が違う気がする…。
上野は桜を見るところではなく、酔っ払いを観察するところです!

これは上野公園。平日昼間だというのに物凄い人出!酔っ払いはまだいませんでした。
桜の花、本当に良いなぁ。桜湯って美味しいですよね。
千鳥ヶ淵の夜桜。日本人に生まれて良かった!と思いましたが外国人の方も沢山。
皆んなに見て欲しい桜の美しさでした!