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【明日はいよいよ喜多直毅クアルテット+矢萩竜太郎(即興ダンス)スペシャルセッション!!!】

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2019年4月27日『喜多直毅クアルテット with 矢萩竜太郎』スペシャル公演 @いずるば 明日は矢萩竜太郎さんと喜多直毅クアルテットのスペシャルセッションです。 会場は東急線多摩川駅と沼部駅の中間地点、福山雅治さんの桜坂の近くにある“いずるば”で行われます。 竜太郎さんは即興で踊るダンサーです。 彼は齋藤徹さん(コントラバス)との共演が多いのですが、もちろん即興のセッションです。 しかし今回は喜多クアルテットは決まった曲(作曲されて楽譜に書かれた音楽)を演奏します。 それに対して竜太郎さんが自由に即興ダンスをします。 これまでクアルテットは『沈黙と咆哮の音楽ドラマ』と称して、音楽劇のようなコンサートを行ってきました。 明日、そこに参加してくれる竜太郎さんには自由に踊って欲しいです。 ドラマに入っても良いし、ドラマを壊してくれても良いとさえ思っています。 その時どうなるか…、クアルテットで音楽づくりを続けて来た本人として、その“出来事”に遭遇してみたいのです。 僕自身の作曲/演奏活動にも竜太郎さんが必ずや何か指針を与えてくれるような気がしています。 昨日いずるばのスタッフで長く竜太郎さんと共にダンスに取り組んできた方からメールを頂きました。 前もって差し上げた喜多カルのCDに合わせて竜太郎さんがリハーサル的に踊ったらとても良かったとのこと。 もちろんCDと生演奏は違うものですので、明日の本番がどのようなものになるか分かりません。 しかし録音音源だとしても彼が身体いっぱいに音楽を受け止めて踊ってくれたことが嬉しいです。 明日がもっと楽しみになりました。 竜太郎さんのお母さんは今ご病気です。 喜多カルの求道会館公演にお母さんと竜太郎さんが来てくれたのは二年前。 お母さんがとても演奏を気に入って下さり今回の公演へと話が繋がりました。 明日喜んでいただけるととても嬉しいです。 もちろん皆さんも明日はお誘い合せの上お越しください! まだお席に余裕がございます。 竜太郎さんとのステージ、本当に素晴らしいものになるに違いありません。 この珍しい機会をお見逃しなく! 頑張るぜい! 『喜多直毅クアルテット with 矢萩竜太郎』スペシャル公演 音と身体から迸る美しきエネルギー、その二つが出会う時、生まれいずる

4/27はとてもスペシャルな公演!!!喜多直毅クアルテット+矢萩竜太郎(即興ダンス)

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矢萩竜太郎(即興ダンス)、齋藤徹(コントラバス)との共演 矢萩竜太郎さんをご存知ですか? ここ数年、齋藤徹さん(cb)のパフォーマンスやワークショップにご参加の方にはもうお馴染みのダンサーだと思います。 彼は即興ダンサーとして活動中。 近年は東京だけではなく、地方や海外(ヨーロッパ)でも踊り、各地で絶賛を受けています。 僕はその場に居合わせなかったのですが、ドイツ・ヴッパタールの即興スタジオ“ORT”では彼のダンスを観て涙する人が大勢いたとのこと。 これまでドキュメンタリー映画監督の近藤真左典さんが竜太郎さんの活動をずっと記録していました。 海外遠征まで同行し、パフォーマンスだけではなくプライベートな映像も撮影していました。 先月、二作品めのドキュメンタリーが出来上がり、僕も試写会へ足を運びました。 映画では竜太郎さんの活動が時系列になっているのですが、映像が後半に行くに従って、そのダンスが如実にパワーアップして行くのです。 成長・進化・発展。 ドキュメンタリーの最後の方のダンスは神がかっており、無駄がなく、かつ自由で、ハッとさせられるものでした。 僕も彼とは何度も一緒に共演させて頂いています。 彼の本拠地のダンススペース“いずるば”にお邪魔した時は気軽に声をかけ合う仲間です。 初めての出会いは五、六年前だったでしょうか(いや、それ以前だったかも)。 齋藤徹さんの引き合わせで行われた竜太郎さんと山海塾の岩下徹さんとのパフォーマンスでした。 僕はダンスとの共演歴があまりなく、どのように演奏したら良いのか実はとても戸惑っていたのです。 ダンスとの共演に対する戸惑い以外に、もう一つ不安になることがありました。 それは竜太郎さんがダウン症だということです。 僕はダウン症の人とは接したことがなく、彼とどのようにコミュニケーションをとったら良いのか分からなかったのです。 普通に接したら良いのか、何か特別な接し方があるのか…。 とても戸惑っていました。 障がい。 それは色々あります。 ダウン症の他、自閉症や精神病。 身体の障がい。 加齢に伴って生ずるもの。 広く解釈すれば難治性の病気も入るかもしれない。 これらの人々と接するとき、どうしても身構えてしまう。 僕は特にそうなのです。 そもそも“普通の”人々

最近行った活動の報告(翠川敬基さんとのデュオ、ヴァイオリンソロ、おとがたり『啄木といふ奴』)

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忙しい日々を過ごしています。 演奏や作編曲の他にも様々な事務仕事があり、なかなか追いつけません。 こうして年をとっていくのかなぁ。 気がついたら70歳・80歳になっているのでしょうか。 もちろん地球が滅んでいなければの話ですが。 さて前回の記事で三つライヴの宣伝を書きましたが、本日それらが終わりましたのでその報告をしたいと思います。 4/11は翠川敬基さん(チェロ)とデュオでした。 この日のプログラムは第一部に完全即興、第二部に翠川さんや冨樫雅彦さんのオリジナル曲を演奏しました。 やっぱり! 完全即興、めちゃめちゃ良かった! 期待以上でした。 もちろん曲に基づいた即興演奏も面白さがあるのですが、翠川さんとのフリーインプロは更に楽しい。 歌もノイズもある。 人間的な喜怒哀楽の表情もあれば、硬質で冷たい物体もある。 このデュオはもっと行ける! そう確信した夜でした。 二人の演奏を基本に、たまにゲストを迎えたトリオでも演奏して参りたいと思います。 次回の演奏は7月頃を予定しています。 終演後は西荻窪の老舗居酒屋・戎へ。 この日はやたら腹が減っていて、色々なものを注文したのです。 串焼きサーロインステーキとか。 何だか霊の話で盛り上がりました。 それとキリスト教のダメさについて。 僕がクリスチャンだと知って、『神なんかいない』『宗教なんて必要ない』と言って来る人が多いのです、飲んでる席とかで。 無宗教の人たちです。 ところが、神なんかいないんじゃないだろうか、宗教なんて必要ないんじゃないかと、日頃からグルグル考えているのがクリスチャン達です。 他にも、神様に出来ないこと、聖書の怪しさ・いかがわしさについても考えています。 信仰のない人たちより、もっと疑っています。 疑うことと信じること、両方必要だと思います。 翠川さんとは音楽的な相性が合うし話していても面白いので永くデュオをやっていけたらと思っています。 デュオのCDも作りたい。 身体だけは大事にして欲しいです。 翌日はヴァイオリンソロでした。 この日は編曲が間に合わない曲があって駄目だな〜と思いつつ会場入り(徹夜で書いていたのだが)。 第一部は即興演奏を行い、第二部は曲を弾きました。 ぶっちゃけ、ヴァイオリンソロは苦手で、弾いていて辛い

直近の公演:4/11翠川敬基さん(チェロ)と即興デュオ、4/13ヴァイオリンソロ、4/14長浜奈津子さん(女優)と朗読会

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週末から日曜日にかけてライヴがあります。 本日はチェロの翠川敬基さんと即興演奏のライヴ。 チェロの翠川敬基さんとは先月、ダンサーの角正之さんと共に三人で即興パフォーマンスを行いました。 実は神戸在住の角正之さんの方がたくさんお客さんを呼んで下さって、東京側の主催者・ホストとしては余り集客が出来ず情けないやら申し訳ないやら。 でもお客さんからは大変好評を頂きました。 普段翠川さんとは短いテーマをモチーフとした即興演奏を行っています。 テーマが即興演奏への滑走路となり、自由に展開、そしてまた元のテーマに着地すると言う形です。 しかし角さんとの即興パフォーマンスでは一時間の即興演奏を行いました。 このデュオでは初めての完全即興だったかも。 翠川さんが賛成してくれたら今日はこんな演奏もして見たいと思います。 テーマとして演奏している翠川さんや富樫雅彦さんのオリジナル曲も魅力的ですので、こちらも演奏いたします。 喜多直毅(ヴァイオリン)翠川敬基(チェロ) 出演:喜多直毅(ヴァイオリン)    翠川敬基(チェロ) 内容:即興演奏 日時:2019年4月11日(木)18:30開場/19:30開演 会場: 音や金時 (西荻窪)     東京都杉並区西荻北2-2-14喜志コーポB1    03-5382-2020 料金:2,500円+オーダー 予約:必要ありません。そのままお越し下さい。 今週土曜日はヴァイオリンソロのライヴを行います。 即興演奏の他、フォルクローレのめちゃめちゃ好きな切ないナンバー、アルゼンチンタンゴ、シューベルトの『冬の旅』から一曲演奏したいと思います。 実はヴァイオリン独奏で楽曲を弾くのはそんなに得意ではなく、いつも「ギタリストかピアニスト来てくれー!」と思っていたのですが、最近「人は皆孤独」「一人で生まれて一人で生き一人で死んでいく…」とか考えているのでヴァイオリンソロがピッタリな心境です。 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 芭蕉 僕は超名盤だと思っているのですが、皆さん、エネスコ演奏によるバッハの無伴奏ソナタとパルティータを聴いた事ありますか? これを聴いて実に美しく説得力があると感じました。 ヴァイオリンで演奏されるバッハでは、エネスコの録音が最も好きです。 何かこう

田中信正さんとのデュオ+西嶋徹さんとのデュオ=8/17のトリオ

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喜多直毅(ヴァイオリン)田中信正(ピアノ) 2019年4月6日@雑司ヶ谷エルチョクロ 本番前のリハーサル。 ピアニスト達の呪いがこんなに強いとは! 一昨日、ピアニスト達をディスるTweetをしたのです。 そしたら今日の田中信正さんとのライブの最中、ヴァイオリンを弾きながら田中さんに合図をしようとしたらピアノの蓋の角に思い切り頭をぶつけてしまいました。 今もコブになっており、歯を食いしばると痛みます。 頭蓋骨にヒビが入ったか、脳に骨の破片が突き刺さっているかもしれません。 きっと罰が当たったのです。 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。 もう呪わないでください。 さて今日のライヴが終わって次のブッキングをする時、田中さんとのデュオに西嶋徹さん(cb)に入ってもらったらどうかと思いました。 田中さんとのデュオでは一昨年『Contigo en La Distancia』という中南米音楽のアルバムをリリース。 それから緩やかにライヴ活動を行なっています。 西嶋徹さんとも二年程前からデュオの演奏を始め、今年二月の下旬、日本の演歌を集めたアルバムのレコーディングを終えました(ハイレゾ配信される予定です)。 喜多直毅(ヴァイオリン)西嶋徹(コントラバス) 2019年2月23日@渋谷・公園通りクラシックス 演奏する曲目は違っても、田中デュオと西嶋デュオは僕の中で地続きで地下水脈で繋がっているのです。 多分二つのデュオを一緒にしたトリオはうまく行くのではないかと思っています。 もとい、思った以上&予想外のものになると最高に嬉しいです。 まだ時間や料金などの詳細は出ていないのですが、8/17(土)は雑司ヶ谷エルチョクロへ絶対にお越しください! 出演:喜多直毅(ヴァイオリン)    田中信正(ピアノ)    西嶋徹(コントラバス) 内容:暗黒&ロマンティック中南米の歌、昭和の演歌 日程:2019年8月17日(土)時間未定 会場: 雑司が谷TANGO BAR エル・チョクロ     〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-2-8     03-6912-5539 今週土曜日は高津のバー・Bagusでヴァイオリンソロのライヴを行います。 いつも即興演奏を行なっていましたが、今回は是非“曲”も演奏

『キンダイチ君はシット深い、めめしい男だ』by 啄木

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4/14に四谷三丁目・茶会記で石川啄木の朗読会を行います。 朗読は女優の長浜奈津子さん。 昨日は朝方までLINEで話し合いながら仮の台本を作りました。 今回は『ローマ字日記』と短歌からテキストを選んでいます。 他にも色々と良い文章があるのですが、あまり欲張ってしまうとおっそろしく長い公演になってしまいます。 ホント、宝石の中から宝石を選りすぐるって難しい。 今日は奈津子さんとリハーサル。 奈津子さんは余り体調が良くない中来てくださったのですが(激しい鼻水&鼻づまり)、何回か通すうちに何かが乗り移ったかの様な朗読になりました。 何と鼻づまりが治ったのです! 役者魂、ここにあり。 女性が啄木の書いたものを読む場合、やはり男性とか女性とかの性別が気になるのかなと思っていましたが、それは全く僕の杞憂でした。 とても自然な形で啄木がポンと現れる。 そして短歌を詠んだり、親友との語らいについて回想したり、妻・母・妹に何かを語りかけたり、お金がないことを呻吟したりする。 そこにいるのは長浜奈津子ではなく、石川啄木なのです(そして啄木を通して語られる人々)。 お見事! 奈津子さんに『素晴らしい!これで完成だね!』と言ったら『まだまだ!』と返されました。 でも作品が形になってきて、そこに啄木が姿を現し始めて本当に良いリハーサルでした。 朗読のみの公演ならばどんなテキストでも読めるのかもしれません。 しかし音楽がそこに加わるとなると、ちょっとそう簡単には行かないなと思いました。 これは僕の才能の問題でもあるのですが、啄木の二つある歌集の二つめ『悲しき玩具』にはどうも音楽を感じないのです。 というか、音楽にすると橋田壽賀子ドラマの劇伴みたいになってしまうのです。 なので、『悲しき玩具』は諦めて、『一握の砂』にターゲットを絞ることにしました。 『一握の砂』の言葉たちの方がまだ音楽を秘めている、水底で音楽に繋がっている、音が聴こえてくる。 そして啄木の日記。 やはりローマ字の日記と他の普通の日記を比べると、内面の吐き出し具合が格段に違う。 ローマ字日記は実に赤裸々なのです。 お金が無くなって下宿屋を追い出されそうになった時、親友の金田一京助が自分の蔵書を売り払ってまでして啄木を助けたのは有名な話。 啄木も日記にそのこと

石川啄木『食うべき詩』

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2015年7月18日@もりおか啄木・賢治青春館(岩手県盛岡市) 黒田京子(ピアノ)と共に啄木からインスパイアされたオリジナル作品を演奏した。 このところ石川啄木の本を読んでいます。 4/14に四谷三丁目の茶会記で女優・長浜奈津子さんと行う朗読会のための読書です。 歌集『一握の砂』『悲しき玩具』は大好きでたまに読んでいますが、『ローマ字日記』も面白い。 他に評伝や研究書も山積みなのですが、一冊ずつ味わっていると本当に時間が足りない。 何故、彼の作品に、そして人物にこんなにも心惹かれるのかと思っていました。 じっと手を見つめていると啄木の三行が浮かび上がってくるのです。 上野駅に行くと岩手弁が聞こえて来て、人混みの中に上京したての垢抜けない自分が見えるのです。 しかしそれは『表れ』としての短歌を読んだ感想です。 ここで彼の文学に対する考え方を知ると、もっと僕の中の“啄木ファン心理”が分かるのではないかと思いました。 そこで遭遇したのが以下の文章。 明治42年に東京毎日新聞に掲載された詩の論評『食うべき詩』の一部分です。 そうしてこの現在の心持は、新らしい詩の真の精神を、初めて私に味わせた。 「食うべき詩」とは電車の車内広告でよく見た「食うべきビール」という言葉から思いついて、かりに名づけたまでである。  謂う心は、両足を地面じべたに喰っつけていて歌う詩ということである。実人生と何らの間隔なき心持をもって歌う詩ということである。珍味ないしはご馳走ではなく、我々の日常の食事の香の物のごとく、しかく我々に「必要」な詩ということである。――こういうことは詩を既定のある地位から引下すことであるかもしれないが、私からいえば我々の生活にあってもなくても何の増減のなかった詩を、必要な物の一つにするゆえんである。詩の存在の理由を肯定するただ一つの途である。 〜中略〜 便宜上私は、まず第三の問題についていおうと思う。最も手取早くいえば私は詩人という特殊なる人間の存在を否定する。詩を書く人を他の人が詩人と呼ぶのは差支えないが、その当人が自分は詩人であると思ってはいけない、いけないといっては妥当を欠くかもしれないが、そう思うことによってその人の書く詩は堕落する……我々に不必要なものになる。詩人たる資格は三つある。詩人はまず第一に「人」でなけれ

部屋に現れた男の霊、今週土曜日(4/6)は田中信正さん(Pf)と雑司ヶ谷エルチョクロでライヴ!!!

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あれはいつ頃だったか、15年くらい前だったかと思います。 もしかしたらそれ以上前かも。 僕は荒んだ暮らしをしており精神状態も悪く、毎日イライラして過ごしていました。 そんな精神状態を反映してか家の中は雑然としてモノが溢れ、決して快適な住まいとは言えませんでした。 不思議なことに頻繁に玄関の照明の電球が切れたり、買ったばかりの電化製品が壊れたりしました。 大嫌いなゴキブリもクモも出ました。 (今同じ部屋に住んでいますが、電気は切れないし虫も出ません。) ある晩、寝室で寝ていたらパッと突然目が覚めました。 普通目が醒める時って眠りからモヤモヤッと現実の世界に戻って来る感じですよね。 目覚めた後も多少ボーッとしていたり眠気が残っていたりする。 ところがその時は違っていて、まるで今まで起きていたかのように目が覚めたのです。 突然目がパチッと開いた感じです。 あんな事は初めてでした。 普通にベッドに横になっていましたが身体が動かない。 いわゆる金縛りです。 でも首だけは何とか動かすことが出来ました。 ふと横を向くと、暗闇の中、そこに一人の男が立っていました。 身長が低く、瘦せぎす、肌は土気色、頬はげっそりとこけていました。 髪型は短いパンチパーマ。 服装はヤンキーが良く着ているナイロン生地のスウェットの上下です。 ニッセンの通販で売っているようなやつ。 そんな見た目の男が全身薄紫の弱い光に包まれて立っていました。 目はどこを見るでもなし、虚空を見つめている。 「わぁ、霊ってこんなふうに見えるんだなぁ」 少しも恐怖を感じることなく、男の姿を観察していました。 すると頭の中にその男からのメッセージが流れ込んできました。 メッセージといっても「俺はこの近くで30年前に刺されて死んだ」という情報が入ってきた感じ。 なぜウチに勝手に入ってきたのかの情報は何も無し。 男はしばらくベッドの横に立っていましたが、次第にゆっくりと滑るようにキッチンの方へ移動して行きました。 普通に歩いたら上下に体が動きますが、完全に水平移動。 そして電子レンジの前で少しずつ向きを変えながら、霧が失せるように消えて行きました。 ホログラムを見てるみたいでした。 あれから紆余曲折。 生き方にも暮らし方にも考え方にも変化があり、同じ部屋