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2/26喜多直毅クアルテット『池袋ネガフィルム』:都市(まち)の心を描きたい。

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喜多直毅クアルテット 喜多直毅(作曲・ヴァイオリン)北村聡(バンドネオン) 三枝慎太郎(ピアノ)田辺和弘(コントラバス) 2020年1月24日@公園通りクラシックス(東京) 都市(まち)は人の集合体。都市は思い、考える。 今でこそ若者の間で『東京・住みたい街』ランキングの上位に吉祥寺と並んでその名が上がる池袋。 デパートが二つもあり、ちょっと路地に入ればお洒落なカフェやレストラン。 かつて文士の暮らした洋館、大学には蔦の絡まるチャペル、少し歩くと懐かしさ漂う雑司ヶ谷や鬼子母神の界隈…。 しかし数十年前まではちょっと暗くて怖くていかがわしい雰囲気の漂う街でした。 新宿や渋谷や銀座など東京の主な繁華街の中、上野と同様にいつまでも戦後とか昭和が抜け切らず、それが一種の『垢抜けなさ』を醸し出していたのかも知れません。 しかしそこが強烈な魅力でもありました。 池袋東口を背にして真っ直ぐ歩く。 すると東池袋のあたりにはボロボロの住宅やアパートが立ち並んでいました。 バラックのような長屋もあったと記憶しています。 平成を迎えた、僕が大学生の頃です。 その街並みはもう一部分を残してほぼ消滅してしまいました。 昔、『巣鴨の母』という映画を見ました。 戦犯容疑をかけられた息子とその老母の物語です。 老母が巣鴨拘置所(現在のサンシャイン池袋)へとぼとぼと歩いて行くシーンがあり、大変印象に残っています。 そこは荒涼とした埃っぽい道。 今の池袋からは想像も出来ません。 実際、戦犯として捉えられた家族・友人・恋人に会うために、何人もの人があの風景の中を歩いたのだと思います。 池袋に限らず、都市というものはどんどん変わっていきます。 しかしここで順序を逆に考えてみたい。 都市が変わったのではなく、人々が変わったのだと。 人々の考え方、生き方、行動が変化して、都市の様子が変わった。 至極当然、何を今更。 当たり前と言えば当たり前ですが、僕にとっては何だか新鮮な発想の順序でした。 では、池袋という都市は、人々の生き様やその移り変わりをどのように見て考えて来たのか。 人々の変化に何を思い感じて来たのだろうか。 そのような問いが新たに生まれました。 その問いに一つの答えを見つけるために、喜多クアルテットの音楽を用いたいと思います。 これまでこのグループでは、潮流というものに流されず、社会や人間のテーマを