2020年2月21日金曜日

2/28(金)はシンガーソングライターライヴwith黒田京子(pf)@大泉学園inF!!!

前回のシンガーソングライターライヴ(2020年11月28日@大泉学園inF)
喜多直毅(歌・ヴァイオリン)黒田京子(ピアノ・ピアニカ)

2/28は大泉学園・inFでシンガーソングライターライヴを行います。
今年の正月明けにふと思い立って自分の歌のデモを作ってSNSやYouTubeに載せたら、思いの外多くの方から反響を頂いてとても嬉しかったです。

その時、ピアノを弾き、歌を歌い、ヴァイオリンを重ねて、全部一人で作ったのですが、なかなかこれが楽しい。
他の仕事のために急いで揃えた機材がこんなふうに利用されようとは!
これからも時間があったらこうした音源をネットに載せていけたらと思っています。
僕の楽しみが増えました!

さてこのシンガーソングライターライヴ、元々はライヴハウスのママさんに勧められて始めたものです。
それまでは人様に提供するのみの“ソングライター”だったのですが、『自分で歌ってみたら?』と言われて思い切ってやってみることに。

最初の頃は物凄く緊張してメチャメチャでした。
メチャメチャは今もあまり変わっていないのですが、少しずつ歌や歌うことに対する感じ方が変わってきたように思います。

前は人様のために書いた歌をとにかく一生懸命“上手に”歌うことに必死。
音程やリズムを正確に、発声をちゃんとして、歌詞を見ないで…みたいに。
このような歌の基本は相変わらずダメなままではありますが、それでも歌手っぽく上手に歌おうと思っていました。
こんな言い方をしては身も蓋もありませんが、それはどこか『カラオケを上手に歌いたい』に近い気持ちだったのかも知れません。
この気持ちが少しずつ無くなってきました。

それと人様のために書いた曲は(全てではありませんが)その歌手の声だとか人物みたいなものを一応想定しているわけです。
Aさんに対して歌を書くなら、Aさんの声や歌い方だけではなく、Aさんがどんな人かについても考えるわけです。
もちろんAさんそのものである必要は全くないのですが、不自然にかけ離れたものを歌っていただくわけにはいきません。

こんな考え方に基づいて歌を作ってきたのですが、それをいざ自分が歌うとなると、結構違和感があることに気がついたのです!
自分で仕立てたシャツだけど、微妙に肩幅や身幅が合わない。
袖丈が違う…みたいな違和感です。

決して何の気持ちも込めず、良い加減に、流れ作業的に作ってきた歌ではありません。
それぞれ丹精込めて作ってきたのですが、やっぱりどこかで人様に歌ってもらうことを前提としていたんだと気付かされた次第です。
そう、人様のためにあつらえたシャツだったのです。

自分が作った歌でも自分には歌えない。
それは歌の技術がどうこうではなく、やはり自分の気持ちが自然に反映した言葉やメロディでないと、実際に自分で歌うときにその中に入っていけないんだと分かりました。
そしてその気持ちを歌詞とメロディにダイレクトに反映させるためにはどうしたら良いのか?
鏡や窓ガラスを磨いておけってことかも知れません。

人様のために歌を作ることはとても楽しいのでこれからももっと続けていきたい。
今後は今まで以上に、もう少しその歌手の“人物”から歌作りをスタートさせられたら良いなぁ。

そして自分の歌。
YouTubeやSNSに載せた『青空』は実に自分が歌うための歌です。
メロディはある映画のために作り、残念ながら採用にはならなかったものの、とても気に入っていたので家でデモ音源を繰り返し聴いていました。
そこに歌詞がどこからともなくやって来た。
こうして出来た曲です。

ってなわけで、少しずつ進化しているシンガーソングライターライヴ。
2/28はぜひお越しください!
ピアノは黒田京子さん。
超贅沢です。

出演:喜多直毅(歌・ヴァイオリン)
   黒田京子(ピアノ)
内容:喜多直毅オリジナルソング

日時:2020年2月28日(金)19:00開場/20:00開演
会場:インエフ(大泉学園)
   東京都練馬区東大泉3-4-19津田ビル3F
   03-3925-6967

料金:¥2,500+オーダー
ご予約&お問い合わせ:
   03-3925-6967
   in-f.sato@nifty.ne.jp



『青空』
作詞作曲:喜多直毅
歌・ヴァイオリン・ピアノ:喜多直毅



ネクタイ、駅に捨てて歩いた 
気が付けばここは青空 
雲の隙間から見下ろせば 
穏やかな風景 

毎朝揺られた急行列車 
輝いて町を貫く 
ひしめくビル、高さを争う 
でも空に届かない 

別れを告げる相手さえない 
悲しむ者一人ない 
この朝ほど清々しく 
世界を感じたことはない 

僕は今空にいるんだ 
何の苦しみもないのさ 
心苛むあらゆるもの 
地上に置いて来た 


昨日まで住んだアパート 
地上に探す目印は 
ベランダに干したワイシャツ 
今、風が吹き捨てた 

軽い命か、重い命か 
そんなことはもう良いんだ 
ごらん、風に舞い飛ぶシャツ 
空の高みへ溶けゆく 

僕は今空にいるんだ 
何の苦しみもないのさ 
心苛むあらゆるもの 
地上に置いて来た 


安いスーツのポケットの中 
指に触れるほつれ糸 
引き抜いても、引き抜いても 
指に絡みつく苦しみ 

僕は今空にいるんだ 
思い煩い脱ぎ捨てて
心苛むあらゆるもの 
地上に置いて来た

2020年2月20日木曜日

2/22(土)は即興ダンス・矢萩竜太郎さんとのパフォーマンス@CafeMURIWUI(祖師ヶ谷大蔵)


2/22(土)、ダンサーの矢萩竜太郎さんと祖師ヶ谷大蔵のMURIWUIというカフェでパフォーマンスを行います。
これは5月下旬にロンドンで行われるダンスフェスティバルへの参加のため、我々の呼吸を合わせておこうという目的で企画したセッション。
(ロンドンのことはまた改めてお知らせいたします。)

さてここでは竜太郎さん、とは呼ばずに竜ちゃんといつもの呼び名を使いたいと思います。
彼と知り合ったのは齋藤徹さんと出会ってしばらくしてからなので、まだ十年は経ちません。
しかし彼の本拠地のいずるば(ダンススペース)では頻繁に顔を合わせているし、即興パフォーマンスに一緒に参加していたりするので良く知った仲です。

彼は僕の4歳年下ですが、その言動はもはやオヤジの域に達していると思います。
オヤジギャグ寒い…。
そしてオフの時の言動がまるで町工場の社長の様なのです。
どのように町工場の社長か…、それはご想像にお任せします。

左から:喜多直毅、矢萩竜太郎(ダンス)、ジャン・サスポータス(ダンス)
ジャンさんはピナ・バウシュ舞踏団のソリストを務め、現在は世界各国で演出やワークショップをしています。
竜太郎さんも大いに影響を受け、ドイツ公演でも様々なサポートをして頂きました。
2017年9月14日@いずるば(東京・田園調布)

彼はダウン症という障がいを持っています。
障がいの話は、正直なところ僕はとても苦手なのです。
というか、障がいについて良く分からないと言った方が良いかも知れません。
知ったかぶりで無責任なことを言ってはならないし、障がい者本人や周りの方々を傷つける発言をしてはいけない。
しかし『障がい・障がい者を知らないから』という言い方そのものが彼らを傷つけるのかも知れません。

そういえば僕は自分のこととして障がいを知っていた、差別を知っていた。
ダウン症や近年ドイツで参加している自閉症をモチーフにしたダンス作品に関わって、忘れていた何かが自分の中にあったのを思い出しました。
それは胸に秘めて、将来お話出来たらと思います(遠い将来)。

彼と初めて会った時、僕はどういう態度をとって良いのか、何を話して良いのか分かりませんでした。
他の出演者、コントラバスの齋藤徹さん、舞踏の岩下徹さんのお二人は竜ちゃんとは前から親しい関係。
三人で仲が良さそう。
会場も初めてで馴染むまで時間がかかりました。

所在無く楽屋に寝転ぶと竜ちゃんが隣に寝転び、僕の手の中に小さな握りこぶしを挿し入れて来たのが忘れられません。
大勢が集まってリハーサルやイベントを行うと、初めて来た人はなかなか輪に入れなかったりするでしょ?
彼はそういう人に近づいて必ず声をかけてあげるのです。

これは障がいによるものでもなく、彼に与えられたキャラクターなのではないかと思います。
前にどこかでダウン症の人たちの基本キャラクターは朗らかでユーモアに富む、と読んだことがあります。
それはまさに竜ちゃんに当てはまります。
いや、あまり断定しない方が良い。
色んな性格の人がいるでしょうから…。
しかし彼はこれまでに傷付くことも数多経験している、ということは付け加えておきたいと思います。

彼のダンスは初めて出会った頃から長足の進化を遂げています。
それは最初から彼の人柄を感じさせてくれるものでした。
例えば力強さとかユーモアとか、そう言ったものが動きから感じられた。

しかしドイツ公演や徹さんとの共演、岩下さんによるレッスンを重ねて、ちょっと神がかったものになって来ています。

彼の動きに何か高次元なものを感じる。
ダンスの場が異空間になるような…。
それは動きというより存在そのもの?
そして孤独とか祈りも感じるようになって来ました。
深さと高さが加わりました。



障がいと言うアングルから見るか、ダンスと言うアングルから見るか、それは全く人それぞれだと思います。
でもこの二つだけではなく、様々なものが交差するところから彼のダンスは生まれているに違いない。
ダンスが素晴らしいんだから障がいなんてどうでも良いじゃん!と言う感想もあるかも知れない。
しかし僕は彼が障がいを持っていると言うことも大事なことではないかと考えています。

障がいと言うアングルから見るか、ダンスと言うアングルから見るか、或いは矢萩竜太郎という人?または存在そのものに目を凝らすか?
否、それでもない。
もちろん彼の人柄でもない。
矢萩竜太郎という器(身体)に宿る何か…。
それが一番重要なのではないかと思います。

彼はずっと徹さんとセッションを行って来ました。
徹さんが亡くなって、大事な共演者を失った竜ちゃんですがそれは僕にとっても同じこと。
何だか天国の徹さんが「二人でやりなさい」と言っている気もします。
そして徹さんは『竜ちゃんにはいつも教えられる』と言っていました。
それは本当なのです!
僕も今回多くを学ばせて頂けるに違いありません!

矢萩竜太郎 / 齋藤徹
矢萩竜太郎 / 齋藤徹

どうぞ皆さん、お誘い合わせの上お越しください!

喜多直毅・矢萩竜太郎セッション
ヴァイオリンとダンスのインプロヴィゼーション

蕾の中で季節を待っているのは自由の花…。
二人のインプロヴァイザーが放つ優しく強いエネルギー。

コントラバス奏者の故・齋藤徹氏の引き合わせによって出会った喜多直毅(ヴァイオリン)、矢萩竜太郎(ダンス)の初の即興デュオセッションです。昨年4月には矢萩竜太郎さんのホームグラウンドとも言うべき“いずるば”にて喜多直毅クアルテットとのコラボレーションが行われ、大変見事なパフォーマンスとなりました。
矢萩竜太郎さんはダウン症のダンサーとして様々な場所で踊り続けています。彼のダンスには何ものをも超えて伝わる確かな力があり、そして優しさがあります。そのダンスをどのように例えたら良いかと言葉を探してみました。浮かんだのは“蕾の中の自由の花”。冬の只中にあって確かに伝わってくる生命の息吹。その鼓動のようなものを本公演から感じて頂ければ幸いです。

出演:喜多直毅(ヴァイオリン)
   矢萩竜太郎(ダンス)
内容:即興パフォーマンス

日時:2020年2月22日(土)19:00開場/19:30開演
会場:カフェムリウイ(祖師谷大蔵)
   東京都世田谷区祖師谷4-1-22-3F
   
料金:予約2,500円/当日3,000円(ワンドリンクオーダー)
ご予約・お問い合わせ:violin@nkita.net

【出演者プロフィール】
◉喜多直毅(ヴァイオリン)
国立音楽大学卒業後、渡英し作編曲を学ぶ。その後アルゼンチンにてタンゴヴァイオリン奏者のフェルナンド・スアレス・パスに師事。タンゴからプログレッシヴロック、アラブ音楽、フリージャズなどに演奏分野を拡大し、近年は即興演奏やオリジナル楽曲を中心とした演奏活動を行っている。2011年よりメインプロジェクトとして喜多直毅クアルテットを開始。出自であるタンゴと様々な音楽の融合による独自の世界を創り出している。黒田京子とのデュオでは、即興性を重視したユニークな編曲で映画音楽・昭和歌謡・オリジナル作品を演奏している。即興演奏を中心とする齋藤徹の企画へも多数参加。日本や韓国の伝統音楽奏者との共演(久田舜一郎、沢井一恵、他)、コンテンポラリーダンス作品への参加では国内のみならず欧州での演奏活動も多い(角正之、Jean Sasportes、他)。翠川敬基、田中信正、西嶋徹とのデュオも頻繁に行う。また朗読家とのコラボレーションも多数行なっている。我が国に於いて最も先鋭的な活動を行うヴァイオリニストの一人である。

◉矢萩竜太郎(ダンス)
1976年生まれ。1990年、ヴォルフガング・シュタンゲ(ロンドン在住,舞踊教育家)との出会いをきっかけにダンスを始める。2014年夏、「竜太郎10番勝負」(東京 「いずるば」にて6公演、ドイツ各地で4公演)を齋藤徹、ジャン・サスポータスと共に成功させる。この東京公演とドイツツアーの詳細を、ドキュメンター作品「ダンスとであって」(近藤真左典監督)として発表。
ライブハウス「エアジン」での定期公演、北海道、岩見沢でのアール・ブリュットフォーラムでのオープニングアクト(齋藤徹、ジャン・サスポータスと共に)2019年4月喜多カルテットライブにゲスト出演し、圧倒的なダンスで好評を博す。
2018年、2019年 それぞれ1年間の「いずるばオープンリハーサル」を経て、「いずるばフェスティバル」に出演。
2019年 DVD第2作「ぼくのからだはこういうこと」(近藤真左典監督)を発表する。
ダンスのスタイルは常に “即興”。かたちに捉われない自分自身の表現を目指し、彼の存在がその場に与えるポジティブな影響は多方面で注目されている。

《追記》
長々と竜ちゃんについて、障がいについて、ダンスについて書かせていただきました。
しかしいつかフライヤーに一言も『ダウン症』とか『障がい』と書かずに公演を行えたらと僕は思っています。
ダウン症の人々は顔立ちに特徴があるので、客席の方々はお気づきになるでしょう。
でもハッと気がついて、でも目の前の竜ちゃんを見て、そしてひょっとしたら他の観客達の反応を見て…。
何か大事なものを感じられるステージになると思うし、帰り道も家についてシャワーを浴びる時もベッドに横になった時も、そして時間が経った後もずーっと考え続けると思います。

2020年2月13日木曜日

一生スランプはやってくる、かも知れない。


プロのヴァイオリニストとして言ってはならないことと知りつつ敢えて言いますが、自分が上手いと思ったことは一度もありません。
たまに上手いかも?と思うけどすぐにそれは妄想だったと気付かされます。
下手な演奏が続いたり、上手い人の演奏を聴くと自分が上手いなんて思えなくなります。

正しい音程、規則正しく振幅するヴィブラート、巧みなボウイングのコントロール。
そして音色の変化の豊かさ。
しかも20代の学生時代に弾いていた曲を40代になってもバリッと弾きこなす。
カッケェ…。
あぁ自分もこんなふうに弾けたらと切に願う。
そしてこっそり嫉妬する。

多分『誰もお前が上手いなんて一度も思ったこたぁねーよ!』と言う声もあるでしょう。
そう言うご意見は今後の参考にさせて頂くとして、でも近年はより一層上手いと思わなくなりました(それでも聴いてくださる方にはホント感謝しかありません)。

ここ数年、いや十何年もあるテクニックが困難で悩んで来ました。
二十代で出来ていたことが30歳前後で全く出来なくなってしまった。

何故こうなってしまったのか?
実は英国留学時代は僕は殆どヴァイオリンを触っていなかったのです。
自分は作曲や編曲を勉強しに来たんだからと思い、ヴァイオリンの練習はしていなかったのです。
もちろんこんなに練習していなければてきめんにその効果が現れます、悪い方向に。

英国からアルゼンチンに渡りタンゴを勉強しましたが、そのレッスンでも自分のテクニックが劣化していることを知り愕然としました。

帰国してから、いろいろな練習法を試してみました。
当時はガッツリ系のヴァイオリンの奏法技術書と言えば『ヴァイオリン演奏の技法(カール・フレッシュ)上下巻とかガラミアンの本くらいしかなくて、それに沿って練習しても身体が痛くなったり、上手く筋肉の脱力と呼吸がリンクしなかったりしました。
どこかを気をつけると他の方に意識が向かなくなるのです。
それと膨大な文章を前にして心が折れちゃったりとか。
結局本を参考にしてもダメで良い先生のレッスンを受けなきゃならないんだと思いました。

ところが色んな事、例えば自分のバンドのための作編曲やサボり癖で忙しくなり(?)、そのテクニックの改善も疎かに。
結局ヴァイオリニストとして仕事はしていても、問題の技術に関しては放置状態となってしまいました。

そして四十も半ばを過ぎた今、復讐を受けているわけです。
特に首が痛いです。
いつも固く凝っており、たまに整体に行って首を触られると悲鳴をあげそうになる。
揉まれると涙が出るくらい痛い。
相手は「撫でてるだけですよ」と言う。

喜多直毅 Naoki Kita
2015年7月16日盛岡少年院にて

そんなこんなでここ数年、本気でこのテクニックを何とかしなくてはと思い色々とその原因と解決策を考えていました。
実は症状が出る時と出ない時があるのです。

《症状が出る時》
・首が固まっている
・ヴァイオリンが前の方に落ちている(猫背の前傾姿勢)
・左手の人差し指付け根がネックを押さえつけている
・フォルティシモの時に、何故か左手指が指板を押さえ込んでしまう(左手指で弦を押さえ込んでもフォルティシモにはなりません)
・身体からの動きのエネルギーが首・肩・腕・手・指のいずれかでブロックされている
・顎と鎖骨がちょうど良い具合に楽器を保持していない

《症状が出ない時》
・演奏で心から“歌って”いる
・ヴァイオリンが高めの位置で保持されている - 顎と鎖骨で楽に楽器を挟んでいて、左手が“持つ事”から自由
・左手肘が普段より内側に入っている
・左手の親指と人差し指付け根がネックを固定していない
・左手の親指が外側に反り返らず、内側に向かってリラックスしている
・他の左手指にも力が入っておらず柔軟性がある
・左手指の爪が切ってある(大事)

これらのポイントを虱潰しに改善していけば良いのですが、実際はそう簡単にいかない。
何故かというと、ヴァイオリンの演奏は全身が連動しており、身体のコアから何とかしないと“部分”まで改善されないからです。
症状が起きている箇所ではなく全然関係の無さそうな所に意識を向けたら症状が出なくなった!というふうに。
これは自分自身の身体の認識をより鋭敏にしていくと共に、第三者に見てもらう必要があると思っています。
プロのスポーツ選手やオリンピックのメダル選手にもコーチがいるように、プロの演奏家にもそういう存在が必要!

というわけで、相変わらず下手だ下手だと思いながら練習する日々です。

もともとカール・フレッシュのスケールだのセヴィシックの基礎技術エチュードだのは大嫌いなのです。
出来たら曲を練習したい。
その方が楽しいし、上達したら仕事でも使えるかも知れない。

ただ基礎練の良いところは『スランプに効く』ところです。
僕は数ヶ月おきにスランプに陥る人間です。
・本番で音楽に入れない、集中力が出せない、気持ちが入らない
・極度に上がってしまう
・開放的になれず萎縮してしまい、音楽がつまらなくなってしまう
・ミスを連発する

こういう演奏をした夜は眠れないし、眠剤も効かない。
その後数日間は自己嫌悪で死にたくなる。
時には共演者を恨む…(酷いっすね)。
こんな具合です。

一回の演奏があまりうまくいかなかったのなら大して落ち込みません。
ただ下手な演奏が連続すると、うわっスランプだ!と確信するのです。
スポーツの漫画とかアニメでもそういうのあるでしょ?
そういう時、登場人物達は黙々と素振りをするとか、走り込むとかしていました。
だから楽器の演奏でもスランプの時は基礎練に限るのだと思います。
但し経験上、僕は根性でやりすぎるところがあるので、そこは気をつけています…。
案外体育会系なのかも?

思えばこれまで数限りない失敗をして来た。
『でも良い演奏だって沢山して来たじゃないか!大丈夫だよ!元気出そうぜ!』
…と自分を慰さめ、励ますことにしています。
何でも良いからまた元気になれたらそれで良いのです。
じゃないと続けていけません、この仕事。

人生においても然りです!

誤解のない様に最後に書かせて頂きますが、この記事での『上手い』は技術のことを指しています。
音楽性やクリエイティビティ、オリジナリティ、センスのことではありません。
無論それらは技術の助けがあって初めて翼を得るものですが、しかし完全なテクニックのみでは、人を奈落の底に突き落とす様な残酷なまでに美しい音楽には到達しえない。
何が音楽をそこまで高めるのか?
この問いに対する音楽家によって考え方は異なるでしょう。
しかし、音楽家はその一生の間、死ぬまでそれを考え続けるのでしょう。

例えばコパチンスカヤの性格無比なテクニックは実に素晴らしい。
しかしそれ以上に彼女から感じるのは凡百のヴァイオリン奏者には無いクリエイティビティです。
彼女がバルトークの無伴奏を弾くのをYouTubeで見ましたが、恐らく彼女の創造性は作曲家バルトークのそれと同等、いや凌駕するのではないかと思ったほどです。
バルトーク自身が想像だにしなかった新たな地平がそこにある様な気がします。

さぁセヴィシックさらうかぁ。

ヴァイオリン、一生弾き続けたい。

2020年2月11日火曜日

生まれて初めて作曲家として仕事をしました。映画『花のあとさき ムツばあさんの歩いた道』

『花のあとさき ムツばあさんの歩いた道』と言うドキュメンタリー映画に曲を提供させて頂きました。

映画『花のあとさき ムツばあさんの歩いた道』公式サイト

映画『花のあとさき ムツばあさんが歩いた道』
2020年5月より銀座シネスイッチで上映

作曲家として僕の他に巨勢典子さん、大曽根浩範さんが曲を書いていらっしゃり、それぞれのテイストが映画をより立体的で奥行きのあるものにしています。

実はこの映画、元々18年間シリーズとして放送されて来たNHKのドキュメンタリー番組だそうです。
だそうです、って実は僕はテレビを見ない暮らしを10年以上続けています。
テレビは持っていますが埃が積もっています。
ドラマやバラエティやスポーツ中継は見ませんし、ニュース番組も見ません。
母に「ニュースぐらい見ないと世の中のこと分からなくなるよ!」と言われたことがあります。
一番最近スイッチを入れたのは、東日本大震災の時。
被害状況を見て、それ以来テレビとは無関係の生活をしているのです。

こんな有様ですので、このドキュメンタリーのことは知りませんでした。
(あ、NHKの受信料はちゃんと払っています。)

さてこの映画、どんな内容か?
それは元になった番組を見てもいなかった僕がここに書くのは大変僭越です。
しかしそれでは読者の皆さんに何も伝わりませんので、ネタバレしない程度に少しだけ書かせて頂きます。

秩父の山奥に限界集落とも呼ぶべき村がありました。
どこから行くにも大変な場所。
ここに住んでいるのは80歳をとうに過ぎたようなお爺さん、お婆さんばかり。
息子や娘たちはとっくに山を降り都会で暮らしています。
山には仕事がないからです。

残った老人たちは急斜面に畑を作り、こんにゃく芋やネギなどを栽培し、また山の手入れなどをして暮らしています。
手入れというよりも山を守る、と言った方が良いかも知れません。
畑の土は痩せて硬く、とても農業に向いていません。
しかしお年寄りたちは先祖代々受け継がれたこの土地も村も棄てることなく生活しています。
まるでそこが自分たちに与えられた恵みであるかのように大切にしているのです。

そこにムツばあさんというお婆さんが住んでいます。
このお婆さん、実にチャーミングなのです。
笑顔が素敵だし、声も溌剌としている。
そして働き者。
ちょっと腰が曲がってるかなぁ…と思いきや、屋根の上に登って野菜を干したり、背中に担いだ大きなカゴに沢山の落ち葉を積んで山を登っていく。
試写会に行って大きなスクリーンで見た時、どれほど山の斜面が急か分かりました。
若者だってあんなカゴを背負って歩いたら斜面を転げ落ちるかも知れません。

ムツばあさんは山に咲く花を心から可愛がっていました。
僕にも花を愛でる心がやっと最近生まれて来ましたが、春の山に咲く花には殊の外生命の歓びを感じるのです。
春が来ると花のおかげで空気にまで彩りが加わる様です。

初めてこのドキュメンタリー番組がテレビで放映された後、視聴者から多くの反響があったそうです。
中には人生に希望を失っていたけれど、この番組をみて生きる勇気が湧いたという声もあったそうです。
回を重ねるごとに次第に番組のファンが増え、視聴者がムツばあさんや山に心惹かれて、わざわざ秩父の奥の方まで訪ねてくるようになりました。
そうするとムツばあさんは彼らと気軽に言葉を交わし、花を見せてあげるのです。
今回公開される映画にも、ムツばあさんの花を見に訪れるファンの方々が登場します。

ネタバレしない様に書くとこのくらいになってしまいますが、大体内容の概略や背景や雰囲気はご想像頂けたのではないかと思います。

今回、作曲のお話を頂いた時、まだ完成前のナレーションも音楽も入っていない(当たり前)DVDを見せて頂きました。
山、花、自然。
正直に申し上げると、『困った!』と思いました。
何故かというと自分の“専門分野”ではないと思ったからです。
(じゃあお前の分野は何だ?と聞かれても困るのですが。)

しかし自分の記憶の中に、仮にそれが実体験ではなく本や映画で知ったものだとしても、何か繋がる糸があるのでは?とそれを探しました。
見つかったのは『残された空』でした。

『残された空』って、喜多直毅クアルテットや黒田京子さん(pf)とのデュオで頻繁に演奏している僕のオリジナル曲です。
でもあの曲がどうのこうのではなく、言葉のイメージとしての『残された空』です。
“空”を外して“残された”だけでも十分かも知れません。

先祖や父母から残された畑や山。
やはり先祖達から残された祭りや慣し。
残されて次第に朽ちていく暮らしの痕跡。
残された子供や孫達。
その子供や孫達に残された時間と場所。
そして残されたものを滅ぶに任せざるを得ない悲しみと無念さ。

特に、朽ちていく暮らしの痕跡には特別なものを感じました。
(このシーンは皆さんにとっても大変印象的に写るのではないかと思います。)
朽ちていくのはとても自然なこと。
命あるものにやがて死が訪れる様に、秋になれば草花が枯れる様に、それは当たり前の摂理。
生も死も営みの中に。

それにしても朽ちていくものが私たちに告げているのは何だろう。

この映画にはある問いかけがあり、それはご覧になると感じて頂けるのではないかと思います。
“メッセージ”とか“声”と言い換えても良いかも知れません。
その問いかけと残されたもの達の接点に流れる音楽を作れたら良いなと思いました。

その問いかけの意味自体は厳しいものかも知れないけど、厳しい顔を差し向けて詰問調で押し迫ってくるのではない。
声高にイデオロギーを叫ぶのでもない。

むしろ、ムツばあさんがわざわざ山を訪れてくれた視聴者や番組スタッフに『良く来たね!』『今年は花が綺麗に咲いたよ』と言っている時のあの笑顔。
また湧き水をコップに汲んで『美味しい水だから飲んでみなさい』と言うあの声と言葉。
それらの奥底にこそ問いかけは隠されている様な気がします。
だから音楽も厳格な喜多クアルテットの音楽ではなく、ムツばあさんの暮らす穏やかな風景を思い描ける様な曲調にしました。
ただ問いかけもメッセージも声も無くなったわけではないのです。

今回は作曲家の3人が別な楽器を使って音楽作りをしています。
僕は作曲のほか、もちろんヴァイオリンを弾いています。
そしてギターの加藤崇之さんに協力をお願いしました。
やはり自然の風景には加藤さんの美しいギターの音色がぴったりだと思ったからです。
(実は加藤さんはテレビで既にこのドキュメンタリーを見ていたそうで『良い番組だったよ』と言っていました。)

映画の特設サイトはこれから内容を更新していくものと思われます。
東京では5月に銀座シネスイッチで上映開始。
その後、全国で公開が予定されています。
先日試写会に行って来ましたが(シネスイッチではない)、やっぱりデカいスピーカーで自分の演奏を聴けると最高!
このヴァイオリンだれ?作曲はだれ?って思いました、マジで。
どうぞ一人でも多くの方が映画館にいらしてこの作品をご覧いただけます様に!

余談ですが、僕には東京のお父さん・お母さんみたいな人がいます。
ずっと僕を見守ってくれている有難い二人なのですが、映画の作曲の仕事をしたよと言ったら凄く喜んでくれました。
お母さんの方は涙ぐんでいました。
何か大袈裟だなぁと思いましたが、やっぱり“NHKの…”って言うと違うみたいです。
演奏ではNHKの仕事は何度もやっているのですが…。
今回の映画はNHKではなくてNHKエンタープライズだよ!って言っておきました。
とにかくお母さんの方は映画館でも泣くと思います。
もちろん実の両親も喜んでくれるはずです。
普段僕が何をやっているかあまり知らせないのですが、今回は伝えました。

これまで色々な曲を自分が演奏するために作って来ました。
しかし作曲家として依頼を受けて曲作りをしたのはこれが生まれて初めてです。
これからもそう言う機会を頂けると嬉しいです。
今回の仕事がとても励みになりました。