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愛、無理。

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Twitterにいつも書いているようなことを今日はブログに書いてみたいと思います。 僕は人に冷たくて、他人に対して関心がなく、自分さえ良ければ良いと考えている人間です。 そして思い切り人のことをディスったり、上手く行っている人を妬んだり憎んだりするし、他人の不幸をあざ笑ったりしてしまいます。 もうず〜っとこんな感じで生きて来ていますが、直そうと思ったこともあります。 と言うか、毎朝今日こそはそう言う悪い心を捨てて生きようと思うのですが、電車に乗った途端、ぶつかってきたヤツにヴァイオリンケースをぶつけて仕返しをしたりします。 また、コンビニで楽譜をコピーする時、僕の前でノロノロと何枚もの書類をコピーしている人がいると凄くイライラします。 わざと大きな音で足踏みをして自分の存在を主張し、その人にプレッシャーを与えたりしています。 如此く、朝目覚めた時は『今日こそ清らかな人間でいよう』と心に決めても、8:00とか9:00にはすでに真っ黒になっています。 「喜多さんってそんなに酷い人だったの?」 「もう聴きに行かない!」 「買ったCDも全部捨てる!」 そう思える人はいないでしょう、恐らく。 なぜかと言うと基本的に人間は皆汚れた部分を心に持っているからです。 あなたの買ったCDはあなたと同じように醜い心を持ったヴァイオリニストによって作曲・演奏されているのです。 文句は言えないと思います。 先々のライヴに入れて下さった予約、お願いですからキャンセルしないで下さい。 さて今日、教会で奏楽をしてきました( 日本基督教団・板橋大山教会 )。 ヴァイオリン一本で賛美歌の伴奏をするのです。 僕は日曜日に仕事が入る事が多く、なかなか礼拝に出席できません。 でもこの奏楽奉仕だけは責任をもって勤めさせて頂いています。 今日の聖書箇所は新約聖書・コリント信徒への手紙1の13章からでした。 13:4 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。  13:5 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。  13:6 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。  13:7 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。  これ、とても有名な箇所です。 で、説教の中で牧師がこの”愛”という単語を全

演奏後記:ソロライヴ、元井美智子さん(箏)とのライヴ。9/23(日)は田中信正さん(pf)とのライヴ@雑司ヶ谷エルチョクロ

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皆さん、こんにちは。 まずは演奏後記。 9/8は友人夫妻が経営するBagusというバーでヴァイオリンソロのライヴを行いました。 2018年9月8日ヴァイオリンソロ@Bagus(高津) 録音したものを後で聴いていつも思うのですが、演奏中、自分がこれカッケー!と思ってやっていることって大して良くないのです。 技術を聴かせたり、得意技を連発すればするほどつまらない。 得意技を全部出し尽くして何も無くなったところから勝負が始まるのを感じます。 演奏中に『こんなの面白いのだろうか?』とか『こんなに単純で良いのだろうか?』と思ったところほど、後で録音を聴くと音楽的に聴こえたりします。 それとソロの即興をやるたびに今の音が次の音を連れてくるのを感じます。 もちろんキックオフは自分がしなければならないのですが、その音がまた次の音へと導く。 サッカーのドリブルや一人パスの様で面白い。 激しく速く弾くところがあったとしても、自然な展開の中にあるのでただの過激でアグレッシヴな演奏にならない。 一人でやる即興演奏がますます楽しくなってきました。 ソロのライヴ、次はまだ決まっていませんが是非お越し頂きたいと思います。 9/15は箏の元井美智子さんとのライヴでした。 会場は僕がいつもお世話になっている代々木の松本弦楽器。 2018年9月15日 violin:喜多直毅/koto:元井美智子 中央右側:松本弦楽器の親方/左:弟子の井田君 打ち上げです。 元井さんの箏の弦はテンションを弱めに張ってあるそうで、それは僕のヴァイオリンも一緒。 ヴァイオリンも箏もテンションが弱めだと演奏は難しくなるのですが、しかし響きは豊かになり弾いた際の反応も早くなる。 ところが最近はこの二つの楽器、どちらもテンションを強めに張るのが主流になっているそうです。 そして弦も、手っ取り早く弾きやすく、音程も取りやすく、楽に綺麗な(と思える)音が出る様なものが使われているとのこと。 ってなわけで、僕も元井さんも弦の選択においても張力においてもマイノリティ。 しかし和楽器・洋楽器の違いはあれど、サウンドの相性はぴったり。 そして即興演奏におけるお互いの距離感も程よい。 その上、見つめている音楽もリンクしているところがあるので、とても充実した演奏となりま