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昨夜の喜多直毅クアルテット/次回は9月15日Jean Sasportesさん(dance)と共に

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昨日の喜多直毅クアルテット公演には大勢の方にお越し頂きまして大変有難うございました。 途中楽器のトラブルがありましたが、予定されていた曲を全て演奏出来て良かったと思います。 僕自身弦が切れてしまったり、ヴァイオリンのブリッジが割れてしまったり(!)したことが何度もありますが、自分のトラブルなら案外焦ったりしません。 絶対に何とかしよう!と腹を決める。 しかしメンバーのトラブルだと何だか焦ってしまう。 だいぶ前、明大前のキッドアイラックアートホールで齋藤徹さんとの演奏中、僕の楽器にトラブルが起きたのです。 (何だったか忘れた。) 演奏後、徹さんが『自分のトラブルだったら落ち着いていられるけど共演者のトラブルは本当に焦る』と言っていたのを思い出しました。 昨日は新曲を二曲演奏しました。 一つはライヴのタイトルとした『狼の夜』。 もう一つは『別れ』。 狼の方は、当初狼が集団で獲物を狩るスピード感や自分が獲物になって群れに取り巻かれている様を音楽にしたいと思っていました。 しかし作曲途中で寺山修司さんの書いた『明日のジョー』の歌詞が頭に浮かんでしまったのです。 親のある奴は くにへ帰れ 俺とくる奴は 狼だ 吠えろ!吠えろ!吠えろ! 俺らにゃ 荒野がほしいんだ 『明日のジョー』作詞:寺山修司 その為にボクサーのステップやストレート、フック、アッパー、ジャブなどをリズムに取り入れたりして、結局相当作曲に手こずりました…。 結局、冬のオオカミに戻したのですが、ボクシングはボクシングで音楽作りに面白い題材だと思うのでいつか取り組んでみたいと思います。 やはり僕の場合、冬とか寒さを土台とした方がイメージが湧きやすいのだと実感しました。 シベリアオオカミという種類が実際にいるのです。 この曲はもっと演奏回数を重ねると、さらに牙の鋭さやスピード感が増してカッコ良くなるはずです。 もう一曲の新曲『別れ』は実は田中信正さん(Pf.)、西嶋徹さん(cb.)とのトリオ用に作りました。 それに手を加えて四人用に書き直しました。 この曲はともするとジャズっぽい曲になってしまう傾向がありますが、演奏のニュアンスによって『気温を下げる』ことにより喜多クアルテットでも上手くいくのではないかと思いました。 例えば一曲の中にひまわり畑を出す。 夏空と照りつける太陽を出す。 しかしそれは記憶の中の風景であって、

【ウタウタ plays 齋藤徹】本日のライヴのお知らせです!

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当日のご案内となってしまいましたが、本日西荻窪の音や金時でウタウタのライヴがあります。 いつも演奏しているメンバーのオリジナル曲の他に、本日はコントラバス奏者・齋藤徹さんの命日ということもあり、徹さんの作った歌の作品を何曲か演奏させて頂きます。 晩年の徹さんは即興演奏の他、歌作りに精力的に取り組んでいらっしゃいました。 日本人による優れた詩に徹さんがメロディを付ける、という方法でいくつもの歌を残しました。 普通のポピュラー音楽の場合、一番と二番のメロディは同じであるため両コーラスの歌詞の音節を揃えてあるのですが、徹さんの作った歌はその形を取らないものが多く声楽曲(日本歌曲など)のフォームを持ちあわせています。 現代詩という音節の縛りのない言葉によっているため、単純に“一番→二番→間奏→サビ”の繰り返しとならず、曲の最初の部分が二度と現れずに最後まで異なるメロディで構成されていたりする。 レチタティーヴォの部分やメロディを朗々と歌う部分など様々な形式からなる作品は、まさに現代詩との融合とも言え、変化に富んでいます。 そもそも歌の言葉には言偏に“寺” と“司”があり、徹さんはどちらかというと“寺” の方を選んだ。 結果、“司”よりも言葉に沿った自由な旋律づけが可能となり、日本語の美しさや面白さがより引き立つようになっているのではないかと思います。 今回ウタウタで演奏する作品は比較的耳馴染みのしやすい楽曲が多いのですが、それでも言葉とメロディが織りなす徹さんだからこその世界に魅力を感じていただけるのではないでしょうか。 ある時、徹さんとの仕事で世界中の割とポップな曲を演奏することがありました。 かなり多くの曲を演奏しなければならなかったのですが、徹さんに渡された楽譜の中にはフォルクローレやピアソラ、ブラジル音楽の他に、美空ひばりやザ・ピーナッツや中村八大などの曲もたくさん含まれていたのです。 こうした曲を選んだことを徹さんは少し恥ずかしそうにして笑っていました。 しかしそれらは徹さんが子供の頃、ラジオなどで耳にし、いつの間にか身体に染み付いていたメロディだったのではないかと想像します。 こうした子供の頃に聴いた音楽はなかなか払拭できるものではありませんし、大人になってからもふと作曲の中に現れたりするのです。 僕自身、曲の中に80年代の『スニーカーぶる〜す』とか戦隊ヒーロー