6/27齋藤徹&喜多直毅デュオリサイタルについて

齋藤徹さん(コントラバス)が5月18日天に召されました。
闘病生活を続けながらも多くの名演奏を私たちに届けて下さいました。

ご存知の方も多くいらっしゃると思いますが、6月27日に永福町のソノリウムでデュオによるリサイタルが予定されていました。
私自身、この公演で徹さんと演奏させて頂けることをとても楽しみにしておりましたが、残念ながら叶いませんでした。
しかし隣に徹さんの存在を感じながら、本公演ではヴァイオリンソロをお届けしたいと思います。

以下フライヤー用に書いた文章です。
宜しければお読みください。

【開催にあたって】
齋藤徹さんと出会って10年の月日が流れました。
引き合わせてくれたのは黒田京子さんです。
その出会いから今まで、私はどれほど多くを徹さんから学び、どれほど多くの演奏家・舞踏家・芸術家を紹介して頂いたことでしょう。
この出会いは幸運としか言いようがありません。
すぐ近くで徹さんの演奏を聴けること、音楽について話せること、訊けること、徹さんの膨大なライブラリから資料を借りられること、仕事の仕方を学べること、その全てが今の私の活動に大きく役立っています。
否、もしかしたら学んだことを十分に活かしきれていないかも知れません。
それは私の能力と努力の足りなさかと思います。
しかし何か難題に直面した時、『徹さんだったらどうするだろう?』といつも想像するのです。

ご存知の方も多いかと思いますが、徹さんは膵臓癌を患っています。
昨年5月に共に渡独した時はとても体調が悪く演奏時以外は横になっていました。
また手や指の痺れもあり重いコントラバスを支えのるも精一杯、かつての様に指も動かないと言っていました。
抗がん剤の副作用で酷い倦怠感に苦しみ、ある日、仕事の要件で電話した時の声は大変弱々しくとても心配になりました。

去年から徹さんは本当にやりたいことだけに活動を絞っています。
そして体調の悪さを全く感じさせない素晴らしいプレイを聞かせてくれています。
それは常人には及ばない演奏でまさに“神がかり”としか言いようがありません。
6月にドイツで行われたハラルド・キミッヒ(ヴァイオリン)やクリステル・ギルボー(ダンス)と徹さんのデュオは誰もが息を飲むものでした。
徹さんは長野での公演を控え、弓を持つことが難しいから弓を持たずに演奏する方法を考えていると言っていました。
指が回らない、弓が持てない、楽器が持てない…、演奏家にとってこれほど辛いことはありません。
それなのに何故あの様に次元の高い音楽を奏でることが出来るのか。
そして決して諦めることなく、演奏に希望を託すことが出来るのでしょうか。
昨年以来、徹さんの演奏に触れるたびにそのことを考えさせられます。

思う様にならない身体がある。
しかしそれを補って余りあるものが確かに存在し、人間はそこに到達出来る。
手放した分だけ与えられ、迎え入れられる。
誠実さを持って向き合う時、確実に応えてくれるものがある。
私は徹さんを通して、音楽が人を生かすさまを、そして人間が音楽によって生かされるさまを見ているような気がしてなりません。
私が愚痴や不平を言う度に、徹さんは『大丈夫、全ては音楽が導いてくれるのだから』と言ってくれるのです。
その言葉、その約束は必ず実ると信じて疑いません。
徹さんが生き証人であり、その演奏が全てを語っているからです。

5年前、徹さんと私とで“明”と言う即興演奏のCDをリリースしました。
コントラバスが“月”、ヴァイオリンが“日”。
楽器のイメージか、それとも我々の性格か、夜に輝く月と昼に輝く日を組み合わせた漢字一文字を徹さんはタイトルに選びました。
今回のリサイタルのタイトルにはやはり“月”と“日”を使いたいと思います。
CDタイトル同様に、コントラバスとヴァイオリン、そして徹さんと私のイメージです。
しかし順序を“明”とは逆に並べて、“月日”としました。
徹さんと私の10年の“月日”、コントラバスとヴァイオリンで奏でた“月日”です。
文章:喜多直毅

最後まで音楽を信じ、全てを捧げた徹さん。
天国からいつも見ているのではないかと思います。
妥協のない良い仕事をしなければ、いや、したい。
襟を正す思いです。

6月27日の詳細に関しては追ってご案内致します。
既にご予約を下さった方にも詳細が決まり次第、個別にご案内させて頂きます。
どうぞ宜しくお願い致します。

齋藤徹さんの魂の平安をお祈りいたします。

齋藤徹&喜多直毅
2015年10月5日リハーサルにて。

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