ダンス公演『MeinSchloss~私の城~』第一日目終了

出演者・スタッフ全員による打ち合わせ

昨夜、ヴッパタールでの『Mein Schloss ~私の城~』初日が終わりました。
満員の客席はやはり嬉しいものです。
将来の公演に繋がりそうな方々もいらしていたそうで、ブッパタール市以外でも上演出来たらと思います。

今回の音楽の作曲は齋藤徹さん(コントラバス)。
大体元となる楽譜があって、本番ではそれをそのまま弾いたり、即興的に変えたりして演奏しています。
音楽がダンサーへのきっかけになっている部分も多いので、守るべきところは守り、外すべきところは外す。
その辺りのさじ加減は演奏者の判断に委ねられています。

昨夜は徹さんのコントラバスが素晴らしかった!
グイグイ迫って来る感じです。
リハーサルの時点から『去年と違う!』と感じていたのですが、昨夜の本番ではいつも以上の気迫を感じました。
逸脱ぶりが痛快なのです。
ステージ上で徹さんのポジションから何か新しいものが次々に生み出されている感じがしました。
『生きている』感じがした。

対して、僕は守りに入っちゃったかな。

まだ時差ぼけが完全に抜けきっていないのか、今朝は4:00か5:00に目が覚めてしまいました。
その時に耳に入ってきたのが心臓の鼓動の様な音。
ベッドの作りのせいでこんなに自分の鼓動の音が響くのか…?
いくら何でも、鼓動の音がこんなにデカいわけがない。
列車の音?
どこかで道路工事でもしているのか…。
何の音か結局分からなかったのですが、長い事、心音は鳴っては止み鳴っては止みを繰り返しました。

その音を聞きながら、昨夜のパフォーマンスの事を振り返っていました。

もし自分の心臓が今日止まってしまう。
今日が人生最後の一日だとしたら、どんな演奏をするだろうか。
きっちり与えられた役割をこなして一生を終わるのも良い。
でも鼓動の止まる最後の一瞬まで、何かを発見したいと願って、そう言う気持ちで演奏に挑むのではないか?
そう思いました。

それは音楽の演奏に限らない。
今日が人生最後の日だったとしたら、朝目覚めてからの過ごし方もきっと違う。
人に対する接し方も良い加減ではないでしょう。
喧嘩したまま、恨んだまま終わりたくないと思うし、赦し、赦されたいと願うのではないでしょうか。
死神が鎌を抱えて枕元に立っていたとしても、出来ることならあらゆる人に感謝の気持ちを抱いていたいと思います。

そして残りの人生の一瞬一瞬を味わい尽くし、飲む水や吸い込む空気にも美味しさを見出そうとする。
全ての感覚を開こうとすると思う。

普段からこんなふうに生きて、演奏にも向かうことが出来たらどんなに良いかと思います。
しかし残念なことに、僕は簡単にそれを忘れてしまう。
忘れてはならないのに、忘れたくないのに、忘れてしまう。
こうして人生の大方の出来事を生ぬるく惰性の中で過ごしてしまうのでしょうか。

ステージ上で開かれた状態でいる為には、やはり普段の過ごし方が大切なのかなと思います。
演奏中、『今日が人生最後の演奏だぞ!』と反芻するなんて実際は殆ど出来ない。
そんな言葉の入る余地はありません。
演奏している時はもっと他の意識的次元にいるんじゃないかな。

だからこそ何かこう普段の生活の中で魂に刻みつけておくべきことがあるのだろうと考えています。
何を思って生きているか。
演奏と日常生活って無関係ではなく、必ず繋がっている。
僕は日常から既に惰性に流されてしまいがちな人間。
ホント、この歳になってやっと演奏の為に良いことは何だってしたいと思う様になりました。

今夜も同じ作品の公演があります。
昨夜とはちょっと違った演奏が出来ると嬉しいです。

コメント