挫折と初心と喜多クアルテット
齋藤徹さんが亡くなって暫く経ちました。 これまでの歩みを振り返って、徹さんとの出会いは自分の人生の中でとても大きく、それだけに逝ってしまった事も大きな出来事です。 徹さんとの別れが自分の音楽人生の一つの節目ではないかと最近強く感じています。 この10年間、音楽活動に様々な事があったように、プライベートな生活にも大きな出来事が多々ありました。 寧ろプライベートな生活の方にこそ、巨大地震があり大津波があったと言って過言ではありません。 音楽活動は実は影のようなもので、実生活はもっとドラマティックで波乱に満ちたものでした。 いつの日か、この日々にどんな事を経験したか詳しく記したいと思っています。 それはきっと様々な人の役に立つ文章になると信じているからです。 しかし今はまだ伏せておきます。 ただ少しだけ、10年前のことを思いつくままにラフに書いてみたいと思います。 人様に迷惑をかけない範囲で、です。 2009年4月13日、10年前の演奏姿。翠川敬基さんのバンド“緑化計画”のライヴ。 @アケタの店(東京・西荻窪) 様々な人に出会いました。 両親から虐待され、40歳を過ぎてもその呪縛から逃れられずに苦しむ男性。 他者との関係だけではなく自分自身との関係がうまく築けずに悩んでいました。 彼とは何度か実際に会って色々な話をしたり、カラオケに行ったりしました。 高学歴なのに、能力があるのに、一度人生で躓いてしまった。 それが元で職を失い、家族を支えるためアルバイトスタッフとして不本意な仕事をしている。 それは社員さんに郵便物を配って回る仕事でした。 「仕事があるだけ感謝」と言って、自分自身の今の姿を何とか受け入れようとしていました。 めげつつもめげない様に、負けそうになりながらも負けない様に…、まるで嵐に揺れる一本の草のごとく生きている人でした。 拒食症の女性もいました。 彼女ともたまに会って食事をしたり、カラオケに行ったりしました。 旦那さんとの関係を断ち切って新しい人生を歩みたいのに、どうしても“元の鞘”に戻ってしまう。 そんな自分が嫌で嫌で仕方がないと言っていました。 別の女性は子供の頃にイジメにあった経験がトラウマとなり、ずっと引きこもっていました。 やっと外に出られる様になり、社会との関わり作りのリハビ...