2022年5月18日水曜日

昨夜の喜多直毅クアルテット/次回は9月15日Jean Sasportesさん(dance)と共に



昨日の喜多直毅クアルテット公演には大勢の方にお越し頂きまして大変有難うございました。
途中楽器のトラブルがありましたが、予定されていた曲を全て演奏出来て良かったと思います。

僕自身弦が切れてしまったり、ヴァイオリンのブリッジが割れてしまったり(!)したことが何度もありますが、自分のトラブルなら案外焦ったりしません。
絶対に何とかしよう!と腹を決める。
しかしメンバーのトラブルだと何だか焦ってしまう。

だいぶ前、明大前のキッドアイラックアートホールで齋藤徹さんとの演奏中、僕の楽器にトラブルが起きたのです。
(何だったか忘れた。)
演奏後、徹さんが『自分のトラブルだったら落ち着いていられるけど共演者のトラブルは本当に焦る』と言っていたのを思い出しました。

昨日は新曲を二曲演奏しました。
一つはライヴのタイトルとした『狼の夜』。
もう一つは『別れ』。

狼の方は、当初狼が集団で獲物を狩るスピード感や自分が獲物になって群れに取り巻かれている様を音楽にしたいと思っていました。
しかし作曲途中で寺山修司さんの書いた『明日のジョー』の歌詞が頭に浮かんでしまったのです。

親のある奴は くにへ帰れ
俺とくる奴は 狼だ
吠えろ!吠えろ!吠えろ!
俺らにゃ 荒野がほしいんだ

『明日のジョー』作詞:寺山修司

その為にボクサーのステップやストレート、フック、アッパー、ジャブなどをリズムに取り入れたりして、結局相当作曲に手こずりました…。
結局、冬のオオカミに戻したのですが、ボクシングはボクシングで音楽作りに面白い題材だと思うのでいつか取り組んでみたいと思います。

やはり僕の場合、冬とか寒さを土台とした方がイメージが湧きやすいのだと実感しました。
シベリアオオカミという種類が実際にいるのです。

この曲はもっと演奏回数を重ねると、さらに牙の鋭さやスピード感が増してカッコ良くなるはずです。

もう一曲の新曲『別れ』は実は田中信正さん(Pf.)、西嶋徹さん(cb.)とのトリオ用に作りました。
それに手を加えて四人用に書き直しました。

この曲はともするとジャズっぽい曲になってしまう傾向がありますが、演奏のニュアンスによって『気温を下げる』ことにより喜多クアルテットでも上手くいくのではないかと思いました。
例えば一曲の中にひまわり畑を出す。
夏空と照りつける太陽を出す。
しかしそれは記憶の中の風景であって、現実に今佇んでいるのは真冬。

実はこの『温度を下げる』感覚を忘れていたところがあり、闇雲に曲作りをしてきた感があります。
しかし原点に再び帰り、今後の喜多直毅クアルテットの曲作りがまた楽しみになってきました。
皆さん、今後ともどうぞ宜しくお願いします!

さて次回のクアルテットのライヴは9/15(木)夜。
東急線・多摩川と沼部の中間地点にある“いずるば”にて行います。
この日はスペシャルゲストとしてダンサーのジャン・サスポータスさんと共にお届けします。



こちらがジャンさんのプロフィール。
ぜひご一読ください。

ジャン・サスポータス Jean Laurent Sas Portas

1952年カサブランカ(モロッコ)生まれ。マルセイユで数学、物理学、哲学を学ぶ。パリでモダンダンスを始め、ダンサーとダンス教師のディプロマを取得。1979年、ヴッパータールのピナ・バウシュ・カンパニーのソロダンサーとして活動を開始。世界中の劇場で踊り続け、ピナの代表作「カフェ・ミュラー」は以来35年400回を越える。1997年から2017年までゲストソリストとしてレパートリー作品に出演。
1989年以降、多くの音楽家とダンスと即興演奏のコラボレーションを展開している。作曲家でコントラバス奏者の齋藤徹と出会い、コラボレーションによるデュオ作品を日本全国15以上の都市で発表。彼と共にヨーロッパと日本のアーティストとの文化交流のプラットフォームを構築する。
1998年以降、ヨーロッパと日本に於いて多くの振付作品を発表する。代表作は「Looking for Kenji」、「うたをさがしてオペリータ」、「私の城」「Am Anfang war das Chaos」。「カフェ・アダ・ダンスシアター」主宰。オペラの演出・振付も行う。また、俳優としても多くの映画に出演する。ペドロ・アルモドバル監督作品「トークトゥーハー」(アカデミー賞受賞)では「世界で一番哀しい顔の男」と評される。
1985年より合気道から派生した「気の道」を学び、25年以上にわたりヴッパータールにある自身の道場で指導を行っている。2000年よりプロのダンサーからハンディキャップのある人まで、世界中のあらゆる人にフロアロア&スタンディング・ボディワークを指導する。

ジャンさんとは故・齋藤徹さん(コントラバス奏者)を通して知り合いました。
その後、ドイツのヴッパタールで行われたジャンさんの振り付け・演出公演の『Looking for Kenji』や『Mein Schloss ~私の城~』に参加させて頂いた他、日本で行われた様々な公演でもご一緒させて頂きました。

僕の説明よりもまずジャンさんのダンスをご覧いただいた方が良いのはいうまでもないのですが、敢えて言葉で表せば“力強いエレガンス”かも。
そして人生の機微のようなものを感じさせてくれます。
まるで美しい映画を見ているような。
もう一つ付け加えれば独特な“ユーモア”。

この共演をお願いした時、ジャンさんは『もう年をとったから余り動けないよ〜』と言っていましたが、沢山動けば良いというものではありません。
喜多クアルテットの音楽が衝動やスピードを内包した“動”であれば、ジャンさんのダンスは人生や心の機微を滲ませる“静”と言えるかも知れません。
どんな曲を一緒にやろうか、今から楽しみにしています!

皆さん、是非9/15(木)の夜はお出かけください!
心よりお待ちしています!

出演:喜多直毅クアルテット
   喜多直毅(作曲・ヴァイオリン)
   北村聡(バンドネオン)
   三枝伸太郎(ピアノ)
   田辺和弘(コントラバス)

特別出演:Jean Sasportes(ダンス)

内容:喜多直毅オリジナル作品+即興ダンス

日時:2022年9月15日(木)19:00開場/19:30開演
会場:いずるば(沼部・多摩川)
   東京都大田区田園調布本町38-8
   03-3721-8760

料金:ご予約¥4,000/当日¥4,500
ご予約・お問い合わせ:violin@nkita.net

【ウタウタ plays 齋藤徹】本日のライヴのお知らせです!


当日のご案内となってしまいましたが、本日西荻窪の音や金時でウタウタのライヴがあります。

いつも演奏しているメンバーのオリジナル曲の他に、本日はコントラバス奏者・齋藤徹さんの命日ということもあり、徹さんの作った歌の作品を何曲か演奏させて頂きます。

晩年の徹さんは即興演奏の他、歌作りに精力的に取り組んでいらっしゃいました。
日本人による優れた詩に徹さんがメロディを付ける、という方法でいくつもの歌を残しました。

普通のポピュラー音楽の場合、一番と二番のメロディは同じであるため両コーラスの歌詞の音節を揃えてあるのですが、徹さんの作った歌はその形を取らないものが多く声楽曲(日本歌曲など)のフォームを持ちあわせています。
現代詩という音節の縛りのない言葉によっているため、単純に“一番→二番→間奏→サビ”の繰り返しとならず、曲の最初の部分が二度と現れずに最後まで異なるメロディで構成されていたりする。
レチタティーヴォの部分やメロディを朗々と歌う部分など様々な形式からなる作品は、まさに現代詩との融合とも言え、変化に富んでいます。

そもそも歌の言葉には言偏に“寺” と“司”があり、徹さんはどちらかというと“寺” の方を選んだ。
結果、“司”よりも言葉に沿った自由な旋律づけが可能となり、日本語の美しさや面白さがより引き立つようになっているのではないかと思います。

今回ウタウタで演奏する作品は比較的耳馴染みのしやすい楽曲が多いのですが、それでも言葉とメロディが織りなす徹さんだからこその世界に魅力を感じていただけるのではないでしょうか。

ある時、徹さんとの仕事で世界中の割とポップな曲を演奏することがありました。
かなり多くの曲を演奏しなければならなかったのですが、徹さんに渡された楽譜の中にはフォルクローレやピアソラ、ブラジル音楽の他に、美空ひばりやザ・ピーナッツや中村八大などの曲もたくさん含まれていたのです。
こうした曲を選んだことを徹さんは少し恥ずかしそうにして笑っていました。

しかしそれらは徹さんが子供の頃、ラジオなどで耳にし、いつの間にか身体に染み付いていたメロディだったのではないかと想像します。
こうした子供の頃に聴いた音楽はなかなか払拭できるものではありませんし、大人になってからもふと作曲の中に現れたりするのです。
僕自身、曲の中に80年代の『スニーカーぶる〜す』とか戦隊ヒーローものの主題歌が出てきたりするから面白い…。
今日演奏する齋藤徹ソングにもそんな片鱗が感じられるはず。
日本歌曲のような面と昭和歌謡的な面が混在する歌の数々、齋藤徹ファンの皆様にとってもユニークなライヴになると思います。
(あぁ、徹さんは今頃また天国で恥ずかしそうに笑っていることでしょう。)

歌うのは齋藤徹さんの作品を歌い続け、もはや最強のインタープリターと称して過言ではない松本泰子さん。

皆様のお越しをお待ちしております!

出演:ウタウタ
   松本泰子(vocal)
   喜多直毅(violin)
   長谷川友二(guitar)
   和田啓(percussion)
内容:齋藤徹作品、メンバーそれぞれのオリジナルソング

日時:2022年5月18日(水)18:30開場 19:00開演
会場:音や金時(西荻窪)
   
   東京都杉並区西荻北2-2-14喜志コーポB1
   03-5382-2020

料金:3,000円+オーダー

無料配信となりますが、 出演者へのご支援として、「投げ銭」を以下にて受け付けております。
どうぞ宜しくお願い致します。

※写真は2014年1月9日、墨田トリフォニーで行われた『オペリータ うたをさがして』の一場面。バンドネオン演奏はオリヴィエ・マヌーリ氏。

2022年4月28日木曜日

2022年4月30日(土)おとがたり朗読公演「夜長姫と耳男」 坂口安吾@六本木ストライプスペース


 
「一心不乱に、オレのイノチを打ちこんだ仕事をやりとげればそれでいいのだ。」

坂口安吾の良く知られた作品の一つ。

耳男は兎のように長い耳を持つ20歳の青年で、飛騨随一と言われる匠の弟子である。アナマロに導かれ、師匠の代わりに夜長の里の長者のもとへ赴くが、それは名高い三人の匠に腕を競わせ、まだ13歳の夜長姫のために護身仏を彫らせるだった。

「好きな物は咒うか殺すか争うかしなければならないのよ。お前のミロクがダメなのもそのせいだし、お前のバケモノがすばらしいのもそのためなのよ。いつも天井に蛇を吊して、いま私を殺したように立派な仕事をして・・・」

創作に取り組むものとして、とても突き刺さる作品です。
否、僕だけではなく、ありとあらゆる創作者(美術・演劇・文学・ダンス)にとっても強く響く物語に違いありません
もしかしたら作品作りでは結果が大切なのではなく、プロセスの方が大事なのかも。
五線紙に一粒一粒音符を刻み込んでいく時間、内なる音を逃すまいと執念を燃やしている時間。

鑑賞者からの評価はどこか遠いところで聞える波や風の音。
創作者が命を燃やすべきは、過去でも未来でもなく“今”。
そこだけに生きる。
獲物を狩る野生動物のように。

これは芸術家だけではなく命ある人、全てに通ずること。
全ての“生きる人“に聴いていただきたい朗読作品となるに違いありません。

「夜長姫と耳男」 坂口安吾
Princess YONAGA and MIMIO


<出演>
おとがたり
長浜奈津子(朗読)
喜多直毅(ヴァイオリン)
 
<公演日時>
2022年4月30日(土)
開場 14時 /開演 14時半
 
 <会場>
六本木ストライプスペース(六本木駅 3番出口より徒歩4分)
〒106-0032  東京都港区六本木5-10-33
Tel:03-3405-8108  Fax:03-3403-6354
 
<入場料金>
予約¥3,000  当日¥3,500(全席自由)
 
<問合せ・ご予約>
電話 09033391281 (長浜)
メール nappy_malena@icloud.com(長浜)
*件名に「おとがたり予約」、メール本文に《4/30》《代表者氏名》《人数》《ご連絡先電話番号》を必ずご記入の上、お申し込み下さい。

【出演者プロフィール】

女優・長浜奈津子とヴァイオリン奏者・喜多直毅による朗読ユニット。首都圏を中心に意欲的に活動を行なっている。物語の持つファンタジーを声や楽器の音を通して空間にありありと描き出すために、即興的に互いの間・抑揚・言葉に反応しながら進行するパフォーマンスは臨場感にあふれ、聴く人はまるで物語の中に居合わせるかのような印象を抱く。来場者はもとより、文学研究者からも高い評価を得ている。

桐朋学園演劇科卒業後、劇団俳優座へ。女優・朗読家。2016年から市川市文学ミュージアム「市川荷風忌」へ出演。 “荷風ひとり語り”『ひかげの花』他三味線語り。ヴァイオリニスト喜多直毅氏との朗読ユニット“おとがたり”では『濹東綺譚』他、永井荷風作品を多数上演。於:六本木ストライプハウス「朗読空間 ~ひとり語り~」では、泉鏡花『高野聖』『外科室』他、坂口安吾『桜の森の満開の下』『夜長姫と耳男』、小川未明『赤い蝋燭と人魚』、小泉八雲の怪談、宮澤賢治の詩と童話、他多数。 ときに“女優の語り” として物語の登場人物を演じ読み、ときに声のみで言葉や物語を聞き手に読み渡す。

国立音楽大学卒業後、英国にて作編曲を、アルゼンチンにてタンゴ奏法を学ぶ。現在は即興演奏やオリジナル楽曲を中心とした演奏活動を行っている。タンゴに即興演奏や現代音楽の要素を取り入れた“喜多直毅クアルテット”の音楽は、そのオリジナリティと精神性において高く評価されている。他に黒田京子、齋藤徹 (故人) との演奏や邦楽・韓国伝統音楽奏者・現代舞踏家との共演も数多い。欧州での演奏も頻繁に行う。我が国に於いて最も先鋭的な活動を行うヴァイオリニストの一人である。

2022年2月5日土曜日

喜多直毅クアルテット次回の公演は5/17(火)@公園通りクラシックス / PAを使うことについて

喜多直毅クアルテット:作曲/Vln喜多直毅 Bandoneon北村聡 Pf三枝伸太郎 Cb田辺和弘

喜多直毅クアルテット:作曲/Vln喜多直毅 Bandoneon北村聡 Pf三枝伸太郎 Cb田辺和弘

昨日は喜多カル@新宿ピットイン公演へお越しくださいまして有難うございました!

普段と違う環境で演奏が出来て、とても新鮮!
普段は60分一本勝負のところ、休憩を挟んで50分2セットの演奏。
時間配分、そして体力気力の持続を考慮としてのライヴとなりましたし、僕個人に関してはやはり2ndセットの途中では消耗した感も否めません。
しかし喜多カル独自のストーリーも表現できて、お越しの方から「まるで映画のようだった」と言って頂きました。
嬉しい!

次回は5/17(火)の夜。
会場は渋谷に戻り、公園通りクラシックスです!
ぜひお越しください!

さて昨日は喜多カルには珍しくPAを使いました。
これには今までの喜多カルを聴いて下さっている方からは賛否両論のご意見を頂くでしょうが、しかしヴァイオリンを担当する僕にはとてもとても弾きやすい環境でした。

普段、出来ない表現が出来ました。
例えば微弱音の中でのサウンドの変化を明瞭に客席に届けられる。
音を激しく弾き切った後に残る残響によって、無伴奏部分に十分な間を作れる。
他の楽器がmfからf程度の音量で鳴っている中で、多少静かに弾いてもしっかりとヴァイオリンが前面に出る。

自分で作曲して自分のバンドを演奏してきて約10年。
これほど自作曲の中で、ヴァイオリンを有効に使えたのは恐らく今回が初めてです。
実は何を隠そう、今まではバンドネオン・ピアノ・コントラバスが中心のアンサンブルとして作っており、ヴァイオリンは香り付けとか装飾としての役割にその存在を当てて来ました。
そして『聴こえなくても仕方がない』という気持ちも若干あったのです。
しかし昨日はヴァイオリンの存在感を前面に出して、“曲の心”を更にむき出しに出来たのではないかと思います。
(もちろんこれはステージ上の僕の印象であって、客席の方はまた別の印象を抱いて当然です。)

ここ10数年、タンゴ以外の現場では僕はPAやアンプを使うことはほとんどして来ませんでした。
特に即興演奏の場合はほぼ100%生音です。
会場が狭くても広くても、です。

ところが先日、ピアニストの照内央晴さんとのライヴで思い切ってPAを使ってみたら、本当に本当に本当に楽だったのです!!!
今まで出来なかった表現も可能になり、しかもいつも以上にインスピレーションも湧いて来る!
照内さんにはこれまでヴァイオリンの音量を考慮して小さく弾いてくださいと頼んで来たのですが、そのライヴでは照内さんも普段通りの音量で思い切り弾けたのではないでしょうか。
もちろん照内さんはppでも演奏できる方ですが、やはり盛り上がった時は思い切りffで弾きたいはずです。
僕がPAを使って音量を得た分、照内さんのダイナミクスも広がったのでは?と想像しています…。

対してタンゴの場合、ピアノもバンドネオンもガッツリ・ガンガン弾いて欲しい。
しかしその音量にヴァイオリンは到底太刀打ち出来ない、ということで、タンゴ演奏の場合はマイクを使っています。
実は喜多カルの場合も楽器編成とか曲の持つパッションはタンゴと同レベル、否、それ以上であって、やはりヴァイオリンはマイクを使ってこそ歌えて、バンドネオンに並ぶメロディ楽器として音楽に参与できるのではないかと思いました。

アンサンブルの鉄則として、音量は一番小さな楽器に合わせる、というのがあります。
ヴァイオリンとピアノのデュオ、例えばブラームスのヴァイオリンソナタなんてピアノは信じられないほど小さな音で弾きます。
歌曲の伴奏も然り。
音数が多い曲の場合、小さい音で弾き続けるのは至難の技だと思います。

しかし喜多カルの音楽の場合、ブラームスとか歌曲とは違うのです。
やはり曲のクライマックスでは“ガッツリ弾かなければ出ない音”を出して欲しいと思っています。

…と、かなり長い記事になってしまいました。
そのうちリヴァーブ(電気的な残響効果)についても書きたいと思います。

これからどのライヴにもPAを使うわけではありませんが、もう少し機会は増えるかも。
会場によって、演奏する音楽によって、です。

ストイックに生音で演奏して来ましたが、ヴォーカリストのようにマイクを使用するのもありかな。
大きめのライヴハウスならなおさら。
歌手って声を張ったかと思えば、囁いたりもするでしょ?
僕はベルカントのヴァイオリン奏者ではありません。
大声で歌ったり金切り声もあげるけど、囁いたり、呟いたり、うめいたり、口ごもったりもしたい。
音の濁流の中にあっても、心の中に微かな叫びはあって、それをしっかり伝えたい。