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齋藤徹さんのこと(前回の記事の続きです)

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齋藤徹&喜多直毅 コントラバス・ヴァイオリン即興演奏リサイタル 『月日』 ~“月”と“日”のカウンターポイント~ Counterpoint of The Moon and The Sun 昨日のソノリウムでのリサイタルは徹さんと二人で行う予定でした。 録音もしてCDにしようと思っていました。 しかし徹さんは先月ガンで旅立ってしまいました。 この公演をキャンセルしてしまうことは簡単です。 ホールにキャンセル料を支払って『公演は中止になりました』と告知すればそれで済む。 まだご予約もそれほど頂いておりませんでしたので、お客様に直接中止の旨をご連絡差し上げれば良かった。 でもそれは違うと思いました。 中止したって徹さんは決して喜ばない。 寧ろ『何やってんの!』と天国で怒るのではないかと思いました。 徹さんと知り合って一緒に仕事をさせて頂いて10年。 色々なことを学ばせて頂きました。 多くの方々にご紹介いただきました。 良い演奏が出来なくて徹さんの顔を潰してしまったことも多々あり、それは今でも申し訳なく思っています。 しかし有難いことに何かと演奏の機会を与え続けてくれました。 本当に感謝しています。 2015年12月14日 滋賀県彦根市の中華料理店にて名物『あんかけチャンポン』を頂く。 本番前の腹ごしらえ。 徹さんは多くの若いミュージシャンを育てました。 演奏家だけではなく、ダンサー達にも大きな影響を与えました。 徹さんが若手に教えたかったこと、それは『自分の音楽を確かなものにして行きなさい』ということだと思います。 自分の道を自分で切り拓くことと言っても良い。 心に羅針盤はあるか?一人で海を往く勇気はあるか?ということ。 いつだったか僕は仕事が完全に無くなって食い詰めて、徹さんの家に行ったことがあるのです。 即興演奏やオリジナル作品のライヴばかりやっていたのですが、下手で人気がないからか、日頃の言動が良くなかったのか、誰からも仕事を頼まれなくなりお金が無くなってしまいました。 一日に500円くらいしか使えなくなりました。 でもたまに仕事がある時はちゃんとした服装でステージに立ちました(ヴァイオリニストが高級感とエレガンスを失ったら終わりですから!!!笑)。 当座の生活費のために、お世話にな

昨日は喜多直毅ヴァイオリンソロリサイタル。7/24は喜多直毅クアルテット@ソノリウムです!!!

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2019年6月27日 喜多直毅ヴァイオリンソロリサイタル @永福町sonorium 昨日(というか一昨日)は永福町のソノリウムにてヴァイオリンソロリサイタルを行いました。 多くの方にお越しいただきまして本当に有難うございました! 準備が本当に大変なリサイタルでした。 普段四人で演奏している曲を一人で弾こうというわけですから編曲にも時間がかかりました。 ヴァイオリンの限界を思い知ると共に、限界があるからこそ出来ることを考える機会となりました。 またヴァイオリンが本来持つ良さとは何か、強みとは何かについても編曲をしながら考えました。 一番頭を悩ませたのがやはり和声・コードの問題です。 僕は普段からメロディ単体で成り立つ曲作りをしておらず、和声の力学に大いに頼った転調を繰り返したり、かなり分厚い和音の堆積を用いて作曲をしています。 アラブ音楽のような線的かつ音階に基づいた音楽ではありません。 ヴァイオリンのみで自分の曲を演奏しようと決めた時、和音を鳴らしながら演奏したり或いはメロディととも和声進行を提示しつつ弾き進めることがこんなに難しいと愕然としました。 (予め想定はしていたけれど、それ以上でした。) 振り返ると、一番問題となったのは、実は僕がお客さんの耳を信じていなかったことではないかと思っています。 単旋律を奏でた時、お客さんの耳がそこに和声を聴き取るのかどうか、そこに信頼することが出来なかった。 そして僕自身がメロディの強さを信じられなかったのではないか? 或いは和声がそこまで僕の曲の重要なファクターなのか? 単旋律でもそこには音色や間合いといったものが存在し、それだけで十分に説得力があるのではないか? そこを吟味してかかるべきだったのかも知れません。 こんなに苦労をして何とかヴァイオリンで和声進行を作り出せるように編曲したにも関わらず、一番お客さんに届いたのはシンプルな歌っぽいメロディだったようです。 とは言え、今回のリサイタルを通して自分に出来ること・出来ないことが良く分かりました。 ちょっと反省文っぽくなってしまいましたが、とても楽しかったのも事実です。 自分一人で全てを演奏する大変さはあるものの、自分一人でデザインした演奏会。 ワクワクしないはずがない。 そしてリサイ

いよいよ明後日はヴァイオリンソロリサイタル!!! 石川啄木と永山則夫。

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マドリッドから帰って来ました。 スイス人ミュージシャン二人との即興演奏(フリージャズっぽい)を行いましたが、演奏時以外は殆どホテルの部屋にいて仕事をしていました。 結局フラメンコは観られず、市内観光もしませんでした。 今回のソロリサイタルでは喜多クアルテットの為に作った曲をヴァイオリン一本で演奏します。 もう編曲は終わり今練習をしている最中ですが、いやぁ大変なこと大変なこと! いつもメロディだけ歌っていれば良かったのに、やることが一度に増えてしまいました。 まるで一人暮らしを始めたばかりの学生みたいです。 今まで全部親にやってもらっていたこと、例えば ・三度の食事の支度 ・掃除 ・洗濯 ・ペットの世話 ・日用品の買い物 ・光熱費の支払い …等々を全部一人でやらなければならない。 学校の勉強もサークル活動もバイトもあるのに! ホント、親の有り難みが良く分かりました(親元にいる人が羨ましい)。 普段一緒に演奏してくれているメンバーには感謝しかありません。 今回のヴァイオリンソロ用の編曲で一番大変なのはやっぱり和音の処理です。 メロディだけ弾いて何とか和音進行をサジェスト出来る箇所もある。 全く和音を提示しなくて良い部分もあって、そういう箇所は気が楽です。 ところが! 旋律によってはどうしても対位法的な力学が働く場合があって、これに忠実に編曲を行うとバッハのヴァイオリン無伴奏曲の様になり本当に難しくなってしまう。 嫌です、自分の曲を難しくするのは。 なので余り極端に難易度の高い編曲は施さない様にしているのですが、それでもまだ弾けないところがある。 あああああ。 でも今回のコンサートでやりたいことは超絶技巧を披露することではありません。 聴く人を“世界”にお招きすることです。 では何の世界か??? それはやっぱり東北生まれのこの二人から立ち現れる世界です。 先日長浜奈津子さん(女優)と朗読会のテーマとして取り上げた“石川啄木”、そしてだいぶ前に黒田京子さん(ピアノ)と行っていたコンサートシリーズ『軋む音』のテーマの一つとして取り上げた“永山則夫”。 この二人。 永山則夫 キケ人ヤ 世ノ裏路ヲ歩クモノノ悲哀ナ タワゴトヲ  キケ人ヤ 貧シキ者トソノ子ノ指先ノ 冷タキ血ヲ キケ人ヤ 愛ノ

スペインで缶詰

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今マドリッドにいます。 さっきスーパーマーケットに行ってヨーロッパでは普通に売っているのに日本では殆ど見かけない平べったい桃を買ってきました。 これはかぶりつき出来るし甘くて本当に美味い! 日本でも栽培して売れば良いのにと思います。 ヨーロッパの平べったい桃。激ウマ! さて今回は MATHEMATICS AND COMPUTATION IN MUSIC 2019 という催しの一環で行われるライヴで来ています。 これはライヴというか学会みたいなものでしょうか、“音楽における数学とコンピューター処理”というタイトルです。 僕はコンピューターとかエレクトロニクスを使った音楽とはまるで縁のない活動をしていますが、これまで作曲家の蒲池愛さんの作品で日本・スロベニア・韓国で行われたコンピューター音楽の会議“ICMC”で演奏しています。 蒲池さんの作品はMAXというコンピュータープログラムが僕の演奏を即座に解析し面白いサウンドを作り出すという内容でした。 今回共に演奏するGuerino Mazzola(piano)、Heinz Geisser(drums and percussions)とは一昨年、共に東京でライヴを行い『間 ~MA~』というCDを作っています。 (このライヴの模様は 齊藤聡さんのブログ でお読み頂けます!) どちらかというとフリージャズ的なアプローチのCDでしたが、今回はどんな音楽になるのかとても楽しみです。 ちなみに僕は数学はてんでダメで、高校時代はいつも赤点ばかり、居残り学習でした。 Naoki Kita, violin Guerino Mazzola, grand piano Heinz Geisser, drums and percussions April. 2018 MATHEMATICS AND COMPUTATION IN MUSIC 2019 MA - Music of Change Naoki Kita, violin Guerino Mazzola, grand piano Heinz Geisser, drums and percussions Naoki Kita, violin Guerino Mazzola, grand piano He

6/27(木)喜多直毅ヴァイオリンソロリサイタルの準備/ライヴのお知らせ

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6/27のヴァイオリンソロリサイタルが刻々と迫っています。 わーーー、大変だ。 今、その準備中。 今回は全てオリジナル楽曲を演奏しようと思っています。 オリジナルと言えば最近は喜多直毅クアルテットにしか書いていませんので、四重奏の曲をヴァイオリンソロに直さなくてはなりません。 全ての楽譜を見ながら『ここは一人で出来る』『ここは一人では無理』と出来そうな部分を抜き出して、何とか対策を練っています。 そもそも僕は和音志向で、旋律のみで成り立つ楽曲作りをして来ませんでした。 ピアノやバンドネオンにどれほど頼っていたことか。 そして和音志向に加えて重低音志向なのです。 しかもクラスター(音塊)好き。 ピアノの左手やコントラバスにも思い切り頼って来たのでした。 ヴァイオリン一本で演奏するとなると、これらのフェイバリットサウンドを全て奪われてしまう。 単旋律だけになってしまう。 寂しい。 いいえ、きっとここに何か発見があるかも知れません。 それはメロディの強さかも。 そしてヴァイオリンの音そのもの。 こんなに音色を変化させられて、まるで人の声のように情感を出せる楽器はない。 このリサイタルをキッカケに是非何かを掴めたらと思います。 それと一人で自分の曲のみを演奏するリサイタルを前からやってみたかったのです。 これは本当のモノローグ。 先月、これまで書きためた“歌”を自分で歌うライヴを行いました。 シンガーソングライターデビューです。 その時ステージに立って歌ってみてとても『恥ずかしい』と思ったのです。 恥ずかしいと言っても人前で歌って緊張したとかあがったと言う意味ではありません。 自分の気持ちや思いを言葉にして人前で歌うことが恥ずかしかったのです。 それは普段自分が心の奥底で思っていることや感じていることを公衆の面前で披露すること。 内面の醜いところも弱いところも晒すような感覚でした。 そして人前で真っ裸になるような感覚でもありました。 (シンガーソングライターの皆さんは常日頃からこうした思いをしているのですね。道理で度胸があるはずだ。) これは相当恥ずかしい。 しかしふと思ったのです。 自分がヴァイオリンを弾くことも同じではないかと。 楽器を弾くことに慣れてしまっているからかも知れませんが、普段

2019年6月27日(木)喜多直毅ヴァイオリンソロリサイタル@sonorium(永福町)

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齋藤徹(コントラバス)喜多直毅(ヴァイオリン) 2018年5月28日独・ボンでの演奏 前回の記事でも書かせて頂きましたし、既にご存知の方も多いと思います。 先月18日にコントラバス奏者の齋藤徹さんが長い闘病生活の末、天に召されました。 改めて哀悼の意を表したいと思います。 先月末にご自宅近くの葬儀場でお通夜と告別式が行われ、僕も参列させて頂きました。 ご家族中心の内々の式にしたいという事でしたが、いずるば関係の演奏家からの供花の取りまとめや音楽演奏・弔辞の役割も頂いたので僭越ですが出席させて頂きました。 弔辞を読ませて頂くのは人生初の経験でした。 徹さんとのこれまでや徹さんが辿ってきた道を思い書かせて頂きました。 ちょっと綺麗にまとめ過ぎたかも知れませんが、偽りなく綴ったつもりです。 徹さんが亡くなってもう2週間が経ちますが、実は未だに徹さんの死が実感できずにおります。 遺体を拝見したり出棺直前にその冷たい額に触れたりもしたのに。 電話をすれば出てくれるような気がするし、メールをすれば返信がある気がする。 生と死の境目とは一体何でしょう。 ずっと前、徹さんと出会ったばかりの頃、「徹さんにとって良い音楽ってどんな音楽ですか?」と尋ねたことがあります。 するとメガネの奥の徹さんの目がキラリと光り、「“死のある音楽”です。」とおっしゃいました。 その言葉が未だに忘れられず、僕も“死のある音楽”をやりたいと思っています。 でもそれがどういう音楽なのか、それさえハッキリとは分からずに手探りをしている状態です。 聴く人が“生き死に”に思いを馳せずにいられない…、そんな音楽でしょうか。 僕個人の印象ですが、徹さんの演奏を聴くたびに、冥界とこの世が紙一重である事をそのサウンドやリズムから感じずに入られませんでした。 確実に他の演奏家の音楽とは一線を画すものです。 こういう音楽は練習や勉強だけで出来るものではなく(もちろんそれも必要ですが)、何かこう生まれ持ってのアンテナやアクセス回路が必要だと思います。 ご本人は無意識だったかも知れませんが、徹さんは容易に冥界の音を聴きコントラバスで表現できる能力を持っていたのではないかとさえ思います。 その徹さんが向こう側に旅立ってしまった。 向こう側で一体どんなふうに過ごしている