2019年4月7日日曜日

田中信正さんとのデュオ+西嶋徹さんとのデュオ=8/17のトリオ

喜多直毅(ヴァイオリン)田中信正(ピアノ)
喜多直毅(ヴァイオリン)田中信正(ピアノ)
2019年4月6日@雑司ヶ谷エルチョクロ
本番前のリハーサル。

ピアニスト達の呪いがこんなに強いとは!
一昨日、ピアニスト達をディスるTweetをしたのです。
そしたら今日の田中信正さんとのライブの最中、ヴァイオリンを弾きながら田中さんに合図をしようとしたらピアノの蓋の角に思い切り頭をぶつけてしまいました。
今もコブになっており、歯を食いしばると痛みます。
頭蓋骨にヒビが入ったか、脳に骨の破片が突き刺さっているかもしれません。

きっと罰が当たったのです。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
もう呪わないでください。

さて今日のライヴが終わって次のブッキングをする時、田中さんとのデュオに西嶋徹さん(cb)に入ってもらったらどうかと思いました。
田中さんとのデュオでは一昨年『Contigo en La Distancia』という中南米音楽のアルバムをリリース。
それから緩やかにライヴ活動を行なっています。
西嶋徹さんとも二年程前からデュオの演奏を始め、今年二月の下旬、日本の演歌を集めたアルバムのレコーディングを終えました(ハイレゾ配信される予定です)。

喜多直毅(ヴァイオリン)西嶋徹(コントラバス)
喜多直毅(ヴァイオリン)西嶋徹(コントラバス)
2019年2月23日@渋谷・公園通りクラシックス

演奏する曲目は違っても、田中デュオと西嶋デュオは僕の中で地続きで地下水脈で繋がっているのです。
多分二つのデュオを一緒にしたトリオはうまく行くのではないかと思っています。
もとい、思った以上&予想外のものになると最高に嬉しいです。

まだ時間や料金などの詳細は出ていないのですが、8/17(土)は雑司ヶ谷エルチョクロへ絶対にお越しください!

出演:喜多直毅(ヴァイオリン)
   田中信正(ピアノ)
   西嶋徹(コントラバス)
内容:暗黒&ロマンティック中南米の歌、昭和の演歌

日程:2019年8月17日(土)時間未定
会場:雑司が谷TANGO BAR エル・チョクロ
   〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-2-8
   03-6912-5539

今週土曜日は高津のバー・Bagusでヴァイオリンソロのライヴを行います。
いつも即興演奏を行なっていましたが、今回は是非“曲”も演奏したいと思います。
もちろんちゃんと編曲したものを、です。

前にヴァイオリンソロ用に“Como Dos Extranos ”というタンゴの歌の曲を編曲して弾いたのですが、これは余り良くありませんでした。
お客さんの前で演奏した後、こんなことを言うのはダメなのですが、言います。
良くありませんでした。
(音数を増やしすぎました。)

ただこの前“Cancion para Mi Guitarra Sola ~我がギターソロの為の歌~”というフォルクローレの歌を編曲して弾いたらなかなか良い感じでした。


本当に大好きな曲で、今まで様々なアレンジ(ピアノやギターの方と)で演奏して来ました。
しかしやはり“Cancion para Mi Violin Solo ~我がヴァイオリンソロの為の歌~”として演奏したい、ヴァイオリン独奏で。

ネットで歌詞を検索してもちっとも見当たらず…。
先日スペイン語やタンゴの歌に詳しい友人が見つけ出して送ってくれた歌詞がこちらです。

Canción Para Mi Guitarra Sola

Si tengo un dia que dejar...
Mi vida en largo guitarrear...
Te ruego siempre estes aqui... en mi ,
Mi flor , mi honda raiz ...
Guitarra, hermana ,novia,luz...
Alumbra siempre nuestro andar 
Con ese arpegio que me das ...
Cuando en un Do menor 
Te pulso el corazon ...

Estoy hoy en un rincon...mmm y pronta para  comenzar ...
Algun cantor aguardara con su cancion , que juntos vamos a empujar ...
Guitarra compañera  fiel ...
La vida un dia nos unio...
Y juntos somos vos y yo...
A caso como un Dios que el cielo perdono ...
Guitarra si un dia nuestro Sol, se apaga en un amanecer...
Tus cuerdas carne de los dos...
Diran al mundo nuestro adios...

Si tengo un dia que dejar mi vida en largo guitarrear ...
Te ruego siempre estes aqui , apretadita en mi ,
Mi flor , mi honda raiz 
Guitarra , hermana , novia , luz ...
Alumbra siempre nuestro andar 
Con ese arpegio que me das
Cuando en un Do menor te pulso el corazon…

何やら素敵そうな内容なので、Google翻訳で英語に直し、そこからまた日本語に訳してみたらこんな感じ。

我がギターソロの為の歌

もし僕の日々が過ぎ去って行くものなら
この人生は緩やかに奏でられるギター
お前よ、いつもここにいてくれ、僕の手の中にしっかりと…
僕の花、深い根っこ
ギター、妹、恋人、光
お前はCマイナーのアルペジオで僕の歩みを照らす
僕の魂を打つ

僕は今日曲がり角にいる
今すぐにでも歩き出せる
カントールは待っている、共に前進出来る歌を携えて
誠実な道連れ、ギターよ
ある日、人生は僕らをつなぎ合わせる
そして僕らは一緒、
僕らとは君、そしてこの僕
(次の4行は分からない)

もし僕の日々が過ぎ去って行くものなら
この人生は緩やかに奏でられるギター
お前よ、いつもここにいてくれ、僕の手の中にしっかりと…
僕の花、深い根っこ
ギター、妹、恋人、光
お前はCマイナーのアルペジオで僕の歩みを照らす
僕の魂を打つ

誤訳&意訳、そのほかメチャメチャです。
どなたか正しい訳をして頂けませんか?
Yahoo!知恵袋で聞くと不愉快かつ恐ろしい思いをすることが多いので…。

とにかく僕の間違いだらけの訳でも、何だか心惹かれる歌詞です。
この“ギター”を“ヴァイオリン”に置き換えて演奏したいのです。

それとシューベルトの“冬の旅”からどれかヴァイオリン独奏で弾いて欲しいとリクエストも頂いています。
そして翌日に四谷三丁目の茶会記で長浜奈津子さんとの朗読会『啄木といふ奴』ではやはりヴァイオリンソロの曲を作って弾かなければなりません。
フライングでルール違反ではありますが、前日のヴァイオリンソロライヴでも弾けたらと思います。

出演:喜多直毅(ヴァイオリン)
内容:即興演奏、その他

日時:2019年4月13日(土)17:00開場/17:30開演
会場:Bagus(高津・溝の口)
   神奈川県川崎市高津区二子5-6-8
   070-5074-8541
   東急田園都市線高津駅下車・徒歩2分

料金:予約¥2,500 当日¥3,000(+ドリンクオーダー)
予約:violin@nkita.net(喜多)
   バグース 070-5074-8541(18:30~24:00)

ちょっとヴァイオリンソロに関して。
ヴァイオリンという楽器は基本的に単旋律楽器で、“歌”的なのです。
なので一人で楽曲を奏する場合は、どうしてもメロディの合間合間に和声進行を示すような重音やアルペジオを挟む必要がある。
僕はどうしてもこれがしっくり来ない。

音域や音色のせいもありますが、何だか派手で華麗になってしまう。
そして技巧を見せる結果となり、巨匠主義的な色合いが出てくる。
ヴァイオリン協奏曲のカデンツァみたいになってしまうのです。
一つのライヴの中にそういう曲も必要ではありますが、要はバランス感覚なのでしょうか。

どうしたものか、といつも思っているのですが、先日ある人から『それはメロディに対するリスペクトが足りないからだ』『単旋律で弾いてもメロディは和声を内包しているものだ』と言われました。
確かにそうだと思います。
あまり音を増やしてガチャガチャ弾く必要はないのかな…。
ヴォイスで見事な即興を行うLauren Newton氏、そして間合いや素晴らしい音色とその変化で宇宙的な世界を作り出せる尺八の海童道祖氏。
アラブ音楽のヴァイオリンの名手たち。
学ぶところが多いです。

それと気になったこと、もう一つ。

有名な演奏家が必ずしも素晴らしい音楽をやっているわけではない。
こんなテーマは幾度となく話されてきたことで、今更話題にすることではないかも知れない。
もちろん素晴らしい音楽をやっていれば人気が出て、客席がすぐに埋まるってことは当然だと思います。
ダメな演奏・手を抜いた演奏だから、お客さんが少ししか集まらないってこともザラにあって、それは法則といって過言ではない。

しかししかし。
驚くほど見事な演奏で、何だコレ!?
こんなの今まで聴いた事無い!って演奏が行われている会場にお客が二人ってこともあるのですよ。
僕はそういう現場を何度となく見てきました(観客として)。
何で皆んな聴きに来ないんだろう!?
絶対に聴いた方が良いぞ!
そう思って友達に勧めてみたりもして、数人は虜になったようです。

しかし“好み”の問題は大きい。
どうやら僕の好みは世の大多数とは違うのだなぁと感じることが多いです。

音楽ってやつは多くの人に聴かれようが聴かれまいが超然としてそこにあるもので、その存在だけは揺るぎないものではないかと思います。
例えば高山に咲く美しい花々の様に、誰に見られなくても美しい姿でいる。
下界でCDのセールス何百万枚、動員数何万人とか騒いでいても、高山の頂上では美しい花が我関せずで風に揺れている。
誰にも摘む事の出来ない崖の岩と岩の間にも、その花は在る。
音楽家は黙々と山を登り続けるしかない。
(恐らくそれはリスナーにも当てはまると思う。)
登った者だけがその花を見つけることが出来る。
山道には遭難者の屍が累々と…。
でも自分から登らなければ一生美しい花は見られない。

音楽は聴かれなければ意味がない。
そう思う。
しかし聴かれることを自ら求めず、ひっそりと、そして神の様に超然として在る音楽に何とか手を触れられたらと最高に嬉しいです。
それを望むことは果たして愚かなことだろうか、一生不可能なことなのだろうか、そして無益なことなのだろうか?
花は幻なのでしょうか。

僕の理想は登山者ですが、ある先輩ミュージシャンには“ひとり博報堂”と呼ばれています。
まだまだ登山道の入口にも立っていない。
下界で目の前の仕事に追われ、様々な不安や悩みを抱えてオロオロしているのです。
この生き方、そしてこの日々は音楽にどんな形で表れるのでしょう。

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