今週金曜日(9/27)は初顔合わせによる即興トリオ!!!

左から:元井美智子(箏)喜多直毅(ヴァイオリン)西嶋徹(コントラバス) 即興演奏というものはやればやるほど奥の深いもの。 自分の身体や呼吸、その時の精神状態が如実に現れ、面白いと同時に恐ろしくもあります。 さて何のために即興演奏をするのか? なぜ即興演奏でなければならないのか? 即興演奏でなければならないなんてことはありません。 僕も色々な音楽をやっていますが、弾いていて・聴いていて『これは素晴らしい』と思えるものには別次元の時間が流れている。 この緊迫感。 まるで音楽の誕生から死にまで立ち会うかのよう。 そしてその一生が人ごとではなく、自分のことのように感じられる。 その音楽は「綺麗、うっとり」とか「絆って大事」とか「死ぬほど愛してる」とかではなくて(それも良いのですが)、もう少し違うところにある。 そういう世俗的な感じではなく、“自然”みたいなものかなと思います。 美しい花を咲かせて見せてくれたり、美味しい水を岩の隙間から出してくれたり、美味しい野菜や果物を育ててくれる。 絶景と呼ぶべき晴らしい景色も自然が作ってくれたもの。 海の中の色とりどりの魚、姿の美しい鳥達を見ると自然がいかに素晴らしいデザイナーか分かるし、虫の擬態や共生関係について調べるとそのプログラムの見事さに言葉を失うほどです。 また海岸を黄昏色に染めて彼氏or彼女とのアバンチュールを演出してくれるのも自然。 土砂降りの雨を降らせて恋人に振られるシーンをより惨めに演出してくれるのも自然です。 それと同時に猛威をふるって多くの人を死なせてしまったりする。 津波とか台風とか地震とか。 「わぁ可愛い子グマ!」「プーさんみたい!」「ハチミツ食べるかな」も数ヶ月経つと、口の周りに鮮血を滴らせて登山客の臓物を貪っていたりするのです。 でもそれも自然の与えた本能だから仕方ありません。 人間の都合とか善悪とかを超えたところにあって、四季折々の美しさを見せたり、弱肉強食の営みを司ったりしているもの。 美しくて残酷、それが自然です。 しかし自然の側からすると、自分が美しいとも残酷とも思っていないのです。 というか『思う』こともないのです。 良い音楽を聴くと『美しい』とか『面白い』とかと同様に背筋がゾクゾクして『怖い』と思う。 それは人間がまだ...