現代の『異土』

喜多直毅クアルテット2020年8月20日公演@公園通りクラシックス・リハーサル
喜多直毅クアルテット2020年8月20日公演@公園通りクラシックス・リハーサル


本日の喜多直毅クアルテット、19:00開場19:30開演@成城アトリエ第Q藝術です。

https://www.seijoatelierq.com

まだお席に余裕がございますのでご予約の上どうぞお越し下さい。

コロナ感染防止対策として要予約とさせて頂いておりますが、当日のご予約も可能です。

violin@nkita.netまでお願いいたします。


今回は音楽で東北を描くという趣旨ですが、公演タイトルの“異土”、実は現在の日本とも取れると感じ始めました。


コロナ感染拡大ですっかり変わってしまった我々の暮らし。

広がる感染に伴って激しく揺れる政治と国民。

そして悪化する経済に大きな打撃を受け、これまでの暮らしを失わざるを得ない人々。


日本という国の地盤沈下は何も今に始まったことではないわけですが、コロナ感染拡大が大きなきっかけとなり、さまざまな変化を表面化させて更に推し進めているのだと思います。

これほど不安な年末が今まであったでしょうか?


コロナによる貧困に苦しむ人たちを、ある人は救済すべきと叫び、一方ある人は自己責任という言葉で片付ける。

色んな意見があって良いのです。
自己責任という言葉にも色々な捉え方があって、一概に悪いものだとは思いません。

しかし真面目に、地道に生きていても、自分の責任だけではどうにもならない状況に陥ることがあると思います。

例えば今回のコロナ禍のように、そういう不運は“降って湧く”。

ほんと、人生は不可解で、準備や保険のきかない場面でつまづくことがある。


そういう時、自己責任とその人のせいにして済ませてしまって良いものか…。

それを許容して、転んだ人を見捨てていく社会、そして人々の心。


日本ってこういう国だったけ?

日本人ってこういう人たちだったっけ?

もしかしたら僕だけが大きな勘違いをしていて、何か幻想のようなものを信じていたのかも知れません。


そんな僕にとってこの国は異土のようなものになってしまった。

日本語は通じるけれど、異国。

しかし他にどこにも行くところがないし、かと言って国には良くなって欲しいから政治批判もする。

すると『そんなに嫌なら出ていけ』と言われる国、それが日本。


今回のライヴは直接コロナ禍に触れるわけではありませんし、元々の主題は東北です。

しかし聴きに来られる方々には、今の日本というふうにも聴いていただけると幸いです。


まず鉄条網を張り巡らします。

あらゆる関係性の間に張り巡らされた鉄条網です。


家も仕事も失った人達が夜の都会を彷徨っています。

働き盛りの20代~40代。

『仕事を選ばなければいくらでも働くところはある』『自己責任』。


そして闇の中に沈む“良き日本”も登場します。

それは切り裂かれて、不安の中に断片として漂っています。


音楽ですので、聴き方次第でどうとも解釈できます。

しかし根本的に、この音楽はドキュメンタリー的であり、リアリズムの音楽です。

生活空間を彩るインテリアとしての音楽ではありません。

あくまでもリアリズムを追求しています。

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