一生スランプはやってくる、かも知れない。


プロのヴァイオリニストとして言ってはならないことと知りつつ敢えて言いますが、自分が上手いと思ったことは一度もありません。
たまに上手いかも?と思うけどすぐにそれは妄想だったと気付かされます。
下手な演奏が続いたり、上手い人の演奏を聴くと自分が上手いなんて思えなくなります。

正しい音程、規則正しく振幅するヴィブラート、巧みなボウイングのコントロール。
そして音色の変化の豊かさ。
しかも20代の学生時代に弾いていた曲を40代になってもバリッと弾きこなす。
カッケェ…。
あぁ自分もこんなふうに弾けたらと切に願う。
そしてこっそり嫉妬する。

多分『誰もお前が上手いなんて一度も思ったこたぁねーよ!』と言う声もあるでしょう。
そう言うご意見は今後の参考にさせて頂くとして、でも近年はより一層上手いと思わなくなりました(それでも聴いてくださる方にはホント感謝しかありません)。

ここ数年、いや十何年もあるテクニックが困難で悩んで来ました。
二十代で出来ていたことが30歳前後で全く出来なくなってしまった。

何故こうなってしまったのか?
実は英国留学時代は僕は殆どヴァイオリンを触っていなかったのです。
自分は作曲や編曲を勉強しに来たんだからと思い、ヴァイオリンの練習はしていなかったのです。
もちろんこんなに練習していなければてきめんにその効果が現れます、悪い方向に。

英国からアルゼンチンに渡りタンゴを勉強しましたが、そのレッスンでも自分のテクニックが劣化していることを知り愕然としました。

帰国してから、いろいろな練習法を試してみました。
当時はガッツリ系のヴァイオリンの奏法技術書と言えば『ヴァイオリン演奏の技法(カール・フレッシュ)上下巻とかガラミアンの本くらいしかなくて、それに沿って練習しても身体が痛くなったり、上手く筋肉の脱力と呼吸がリンクしなかったりしました。
どこかを気をつけると他の方に意識が向かなくなるのです。
それと膨大な文章を前にして心が折れちゃったりとか。
結局本を参考にしてもダメで良い先生のレッスンを受けなきゃならないんだと思いました。

ところが色んな事、例えば自分のバンドのための作編曲やサボり癖で忙しくなり(?)、そのテクニックの改善も疎かに。
結局ヴァイオリニストとして仕事はしていても、問題の技術に関しては放置状態となってしまいました。

そして四十も半ばを過ぎた今、復讐を受けているわけです。
特に首が痛いです。
いつも固く凝っており、たまに整体に行って首を触られると悲鳴をあげそうになる。
揉まれると涙が出るくらい痛い。
相手は「撫でてるだけですよ」と言う。

喜多直毅 Naoki Kita
2015年7月16日盛岡少年院にて

そんなこんなでここ数年、本気でこのテクニックを何とかしなくてはと思い色々とその原因と解決策を考えていました。
実は症状が出る時と出ない時があるのです。

《症状が出る時》
・首が固まっている
・ヴァイオリンが前の方に落ちている(猫背の前傾姿勢)
・左手の人差し指付け根がネックを押さえつけている
・フォルティシモの時に、何故か左手指が指板を押さえ込んでしまう(左手指で弦を押さえ込んでもフォルティシモにはなりません)
・身体からの動きのエネルギーが首・肩・腕・手・指のいずれかでブロックされている
・顎と鎖骨がちょうど良い具合に楽器を保持していない

《症状が出ない時》
・演奏で心から“歌って”いる
・ヴァイオリンが高めの位置で保持されている - 顎と鎖骨で楽に楽器を挟んでいて、左手が“持つ事”から自由
・左手肘が普段より内側に入っている
・左手の親指と人差し指付け根がネックを固定していない
・左手の親指が外側に反り返らず、内側に向かってリラックスしている
・他の左手指にも力が入っておらず柔軟性がある
・左手指の爪が切ってある(大事)

これらのポイントを虱潰しに改善していけば良いのですが、実際はそう簡単にいかない。
何故かというと、ヴァイオリンの演奏は全身が連動しており、身体のコアから何とかしないと“部分”まで改善されないからです。
症状が起きている箇所ではなく全然関係の無さそうな所に意識を向けたら症状が出なくなった!というふうに。
これは自分自身の身体の認識をより鋭敏にしていくと共に、第三者に見てもらう必要があると思っています。
プロのスポーツ選手やオリンピックのメダル選手にもコーチがいるように、プロの演奏家にもそういう存在が必要!

というわけで、相変わらず下手だ下手だと思いながら練習する日々です。

もともとカール・フレッシュのスケールだのセヴィシックの基礎技術エチュードだのは大嫌いなのです。
出来たら曲を練習したい。
その方が楽しいし、上達したら仕事でも使えるかも知れない。

ただ基礎練の良いところは『スランプに効く』ところです。
僕は数ヶ月おきにスランプに陥る人間です。
・本番で音楽に入れない、集中力が出せない、気持ちが入らない
・極度に上がってしまう
・開放的になれず萎縮してしまい、音楽がつまらなくなってしまう
・ミスを連発する

こういう演奏をした夜は眠れないし、眠剤も効かない。
その後数日間は自己嫌悪で死にたくなる。
時には共演者を恨む…(酷いっすね)。
こんな具合です。

一回の演奏があまりうまくいかなかったのなら大して落ち込みません。
ただ下手な演奏が連続すると、うわっスランプだ!と確信するのです。
スポーツの漫画とかアニメでもそういうのあるでしょ?
そういう時、登場人物達は黙々と素振りをするとか、走り込むとかしていました。
だから楽器の演奏でもスランプの時は基礎練に限るのだと思います。
但し経験上、僕は根性でやりすぎるところがあるので、そこは気をつけています…。
案外体育会系なのかも?

思えばこれまで数限りない失敗をして来た。
『でも良い演奏だって沢山して来たじゃないか!大丈夫だよ!元気出そうぜ!』
…と自分を慰さめ、励ますことにしています。
何でも良いからまた元気になれたらそれで良いのです。
じゃないと続けていけません、この仕事。

人生においても然りです!

誤解のない様に最後に書かせて頂きますが、この記事での『上手い』は技術のことを指しています。
音楽性やクリエイティビティ、オリジナリティ、センスのことではありません。
無論それらは技術の助けがあって初めて翼を得るものですが、しかし完全なテクニックのみでは、人を奈落の底に突き落とす様な残酷なまでに美しい音楽には到達しえない。
何が音楽をそこまで高めるのか?
この問いに対する音楽家によって考え方は異なるでしょう。
しかし、音楽家はその一生の間、死ぬまでそれを考え続けるのでしょう。

例えばコパチンスカヤの性格無比なテクニックは実に素晴らしい。
しかしそれ以上に彼女から感じるのは凡百のヴァイオリン奏者には無いクリエイティビティです。
彼女がバルトークの無伴奏を弾くのをYouTubeで見ましたが、恐らく彼女の創造性は作曲家バルトークのそれと同等、いや凌駕するのではないかと思ったほどです。
バルトーク自身が想像だにしなかった新たな地平がそこにある様な気がします。

さぁセヴィシックさらうかぁ。

ヴァイオリン、一生弾き続けたい。

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