喜多直毅クアルテットの曲『厳父』について

喜多直毅クアルテット:喜多直毅(ヴァイオリン)北村聡(バンドネオン)三枝伸太郎(ピアノ)田辺和弘(コントラバス)
2017年10月21日22日喜多直毅クアルテット『無惨』~沈黙と咆哮の音楽ドラマ~
@公園通りクラシックス

『詩篇』。
やっと新曲を書き終えました。
毎回難産です。

いつものことながら大仰な公演タイトルをつけてしまうものだから、曲自体もそれに合わせてスケールのでかいものにしなくてはならないと思ってしまいます。
そのうち短い曲で済む様なタイトルをつけたいと思っているのですが難しい…。

そもそも公演タイトルを付けるのは作曲に取り掛かる数ヶ月前。
タイトルをつけたと同時に作曲に取り掛かれば良いのに、忙しさゆえいつも本番直前に作り始めます。
なのでタイトルをつけた時の気持ちなんかすっかり忘れていて、いざ作曲にとりかかるとそのタイトルが足かせになって苦労します。
タイトルが曲調を限定してしまうのです。

こんな理由で今までで一番苦労したのは昨年行った公演『厳父』のタイトル曲作りでした。
何とか仕上げたので結果オーライ。

この『厳父』という言葉、“肉親である父”と“父なる神”の二つの“父”を併せ持っています。
どうも僕は実際の父とキリスト教の神がダブるのです(あ、何回も書いていますが僕はクリスチャンです)。

思えば我が父は厳しい人でした(“でした”ってまだ元気で生きています。)

家庭によりますが、父と息子の関係は難しいことが多いかも知れません。
我が父は真面目な人で、外では言わば仕事の鬼。
家庭では随分僕を厳しく教育しました。
ところがその教育はうまくいかなかったらしく、僕はちっとも親の言うことを聞かなかったし、結果とんでもない人間になってしまいました。
人生失敗ばかりです。

(ここに失敗の数々を列挙しても良いのですが、さすがにそれはやめておきます。親に迷惑がかかるので。)

最近、自分は生まれつき人格に異常があったのではないかと思い始めました。
だから父が厳しく叱ったり根性を叩きなおそうとしても上手くいかなかったのかも知れません。
もはや普通の人では手に負えず、ここまで来ると精神科医とか臨床心理士の領域になるのでしょう。
親にとっては不運です。

ちょっと話は逸れますが、以前ある男性にお会いしました。
その方は僕の父と同年代なのですが、娘さんがいらして、彼女は小説家なのだそうです。
で、そのお嬢さんがある日、お父さんに言ったそうです。
『私を生んだことをお父さんが後悔する様な作品を書いてみせるわ』。

実にかっこいい!
素晴らしいと思いませんか?
やっぱり小説家はこうでなくちゃ!と思います。
何でもかんでも親の言うことを聞いて素直に育ってきたお嬢さんに、人の心に爪痕を残すような作品が書けるはずはありません。

ウチの親が僕を生んだことを後悔しているかどうか、それは不明。
しかし、僕はこれ以上親を悲しませたくないと思っています。

さて今度はキリスト教の神。
僕にとってこの父なる神はいつも厳しい顔で僕を見ていて、すぐに雷を落とす様な恐ろしい存在に思えるのです。
わざと不運や障害を僕の前に配置して、それを乗り越えられるか試している様に感じるのです。
厳しいだけの存在で愛情をちっとも感じられない。
本当に厭わしく呪わしくて仕方がない…。

ところが最近、ある牧師の説教を聞いてちょっと違う考え方をするようになりました。
神は僕の前方だけではなく、後ろにもいるのではないか?と。
確かに神は僕の前途に障害物を置くかも知れない。
そして僕を試すかも知れない。
しかし神は後ろ”にも”立っていて、僕の背中を押して歩みを助けてくれているのです。
そして倒れそうになったら後ろから抱きかかえて支えてくれる。

普通、神様は自分の前方にいて、出エジプト記のモーセの海割みたいに前途を切り開いてくれたり行く道を照らしてくれるかに思いがち。
そう言うこともしてくれるとは思うけど、案外後ろにいることの方が多いのではないか?

キリスト教は何でも神様に頼っていれば良いんだよね?と良く言われますが、歩いていくのは結局自分なのです。
否、神と二人の道行き。
ただし、やはり最初の一歩を踏み出すのは自分。
まず自分が動き出さなければ神様は何もしようがない。
だってキックしなければボールは動かないし、まず試合が始まらないじゃないですか!

でも人生でつまづいた時、絶望に崩折れた時、背後に大きな手があって必ず助け起こしてくれる。
登り坂をゆく時は必ず背中を押していてくれる。
そういう存在がいてくれる。
だから失敗しても大丈夫。
自分の思う様に歩んで行けば良い。

そしてなんだかんだ言って、最低限必要なものを与えてもらっています。
それは衣食住の意味ではなく、『生きろ』という言葉です。

振り返れば肉親の父にもそういう思いがあったんだろうなと思います。
(繰り返しますが、まだ元気で生きてますから。)
親孝行、全く出来ていません。

さて『厳父』という曲ですが、曲の進行の中でこんな気持ちの変化が表現出来たらと思いました。
とは言え、これもまたそのうち書き直してバージョンアップをするかも知れません。
次回のライヴでは『厳父』も演奏します。
是非聴きに来て下さいね!

喜多直毅クアルテット二日連続公演『詩篇』 ~沈黙と咆哮の音楽ドラマ~

喜多直毅クアルテット『詩篇』~沈黙と咆哮の音楽ドラマ~/喜多直毅(ヴァイオリン)北村聡(バンドネオン)三枝伸太郎(ピアノ)田辺和弘(コントラバス)
2019年3月2日3日
喜多直毅クアルテット『詩篇』~沈黙と咆哮の音楽ドラマ~

◉出演
 喜多直毅(作曲・ヴァイオリン)
 北村聡(バンドネオン)
 三枝伸太郎(ピアノ)
 田辺和弘(コントラバス)
◉内容:喜多直毅オリジナル作品

◉日時:2019年3月2日(土)、3月3日(日)※2日連続公演
    両日共14:30開場/15:00開演
    ※2日、3日ではそれぞれ異なる曲目を演奏いたします。
◉会場:公園通りクラシックス(渋谷)
    http://koendoriclassics.com
    〒150-0042東京都渋谷区宇田川町19-5
    東京山手教会B1F
    03-6310-8871
    JR・東京メトロ・東急線・京王井の頭線渋谷駅下車徒歩8分

◉入場料:どちらか1日分のご予約¥4,000
    2日連続予約¥7,000(10月27日のご来場時に¥4,000、翌10月28日に¥3,000を申し受けます)
    当日(両日とも)¥4,500
 
●2日連続予約は3月1日までにお願い致します
●3月2日に翌日3月3日のご予約を頂いた場合は¥4,000を申し受けます。
・メールでのお申し込み:violin@nkita.net(喜多)
 メールタイトルは「喜多クアルテット3月予約」、メール本文に「代表者氏名、人数、連絡先電話番号、ご覧になりたい日付」を必ずご記入の上、お申し込みください。
・電話でのお申し込み Tel:03-6310-8871(公園通りクラシックス)
●小学生以下のお子様はご入場頂けない場合がございます。


最後に、ちょっと上に書いた文章に関係ある様な無いような(微妙)詩を載せておきます。
クリスチャン詩人の詩でとても好きな一編です。
しかもかなり有名な作品です。

『あしあと』
マーガレット・パワーズ   

ある夜、私は夢を見た。
私は主と共に渚を歩いていた。
暗い夜空にこれまでの私の人生が映し出された。
どの光景にも砂の上に二人のあしあとが残されていた。
一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出された時、私は砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
私の人生でいちばん辛く悲しい時だった。

このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ、私があなたに従うと決心した時、あなたはすべての道において私と共に歩み、私と語り合って下さると約束されました。
それなのに私の人生のいちばんつらい時、一人のあしあとしかなかったのです。
一番あなたを必要とした時にあなたが何故私を捨てられたのか、私にはわかりません。」

主はささやかれた。
「私の大切な子よ。
私はあなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや苦しみや試みの時に。

あしあとが一つだった時、私はあなたを背負って歩いていた。」 

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