伊藤芳輝さん

Violin喜多直毅+Guitar伊藤芳輝
2017年11月16日船橋市市民文化創造館(きららホール)


ご存知の方も多いかと存じますが、ギタリストの伊藤芳輝さんが天に召されました。

僕がそのことを知ったのは三日前。
以前から病気を患っていらしたのは存じておりましたが、ネットで多くの方が伊藤さんが亡くなったと書いていらしたのを見て本当に他界されたのだと知りました。

伊藤さんと初めてお会いしたのは僕がまだ二十代前半の頃だったかと思います。
四谷三丁目のバーでした。
友人のピアニストが伊藤さんと親しくて、彼女の夜店の仕事(酒場のピアノ弾き)が終わった後、伊藤さんの仕事場のバーに僕を誘ったのです。
伊藤さんは閉店後のバーでギターを取り出し、始発電車までフラメンコやボサノヴァを弾いてくれました。
ジャズやフラメンコや…その他様々な音楽をフュージョンさせて、新しい音楽を作り出す。
そんな人がいるんだなぁ、カッコいいなぁと思いました。

その後、何年もして僕がライヴハウスなどに出るようになり、オリジナル曲を作ったりジャズめいたアドリブ(?)をするようになって、思い切って伊藤さんに一緒に弾いてくださいとお願いしたところ快く引き受けて下さいました。
記憶に間違いがなければ、その場所は大塚のGrecoという小さな店だったと思います。
当時Grecoはまだ二階のバースペースのみで、ウイスキーを飲みながらアットホームな雰囲気の中、間近で演奏を楽しめる大人の空間でした。

このライヴ以降、伊藤さんは色々な仕事に僕を誘ってくださいました。
クッソ生意気でそのくせ演奏は半人前の僕を、です。
伊藤さんの引き合わせによる出会いもありました。
ミュージシャン、お客さん、会場等々。
そして一期一会の“演奏”との出会い。
伊藤さんは日毎夜毎のステージ上の音楽との出会いを作ってくれた先輩演奏家の一人でした。
僕には多くの学びの機会でした。

しかし結局僕はフラメンコのコンパスが分からず仕舞いで、伊藤さんのフラメンコソロやオリジナル曲に合いの手を入れたり同時に終わったりすることが出来ませんでした。
極度のリズム音痴。
いえ、ただの勉強不足で恥いるばかりです。

とにかく、伊藤さんのギターソロは本当に素晴らしかった。
ため息から始まって次第に言葉が増え饒舌になっていく。
やがてどんどんテンポが早くなり、一点に向けて加速していく。
それは猛禽が翼を広げて空に舞い上がる様を思わせました。

伊藤さんは僕のCDにも参加して下さいました。
『兄と妹』というオリジナル曲では素晴らしい演奏をして下さっており、この曲はもはや伊藤さんのギターなしでは成立しないと言って過言ではありません。
全身土埃に塗れた兄と妹が荒野を行く。
不安と悲しみとほんの少しの希望を抱いて太陽に向かって歩き続ける兄妹の姿が、伊藤さんのギターの音に浮かび上がってきます。
これは作曲者としての個人的な印象・感想であって、リスナーに対して『こう聴いて欲しい』という要望ではありません。
しかし描いているものが兄妹の姿であっても、完全に別なものであっても、伊藤さんのギターは胸に何かを喚起させる。
そこが素晴らしいし、演奏家としての実力が無ければどんなファンタジーも聴く人に感じさせられないと思うのです。
(このCDをリリースして、伊藤さんとパーカッションのクリストファー・ハーディさんと岩手県や秋田県でライヴを行ったこともあります。)

その後、何年もして、僕は体調を崩し活動を一時中断しました。
活動再開後は少し伊藤さんと疎遠になってしまいました。
当時僕は自分のバンドの活動や即興演奏に力を注いでおり、音楽性も療養前と大きく変わっていったからです。
しかし伊藤さんがメインとするスパニッシュコネクションの他に別のリーダーバンドやビートルズを演奏する弦楽四重奏団で精力的に活動なさっていることは伝え聞いておりました。
また重い病気に罹りながらもご自身の理想とする音楽を追求し続けている姿を知り、大変心打たれました。

数年前からまた伊藤さんにお声がけして、一緒に演奏していただくようになりました。
伊藤さんからもお誘い頂けたことを今でも嬉しく思っています。
実はここ数ヶ月、また伊藤さんをお誘いして一緒に演奏したいなと思っていたのです。
残念ながらそれは叶いませんでした。

最後にご一緒した時(2020年7月18日)、打ち上げの席で、あることを相談しました。
相談と言うよりも単なる僕の愚痴だったかもしれません。
その頃、僕はあることについて迷い逡巡していたのです。

僕の話を聞いて、「自分が感じていること、それに正直になって羅針盤にしていけば良いんだよ」と伊藤さんは言ってくれました。
もっと違う言い方だったかも知れないけど、僕は以上のように受け取りました。
実は伊藤さんからこんな言葉を頂いたのはこれが初めてだったのです。
仕事や人生の指針のような言葉です。
長年にわたり第一線で活動し続け、重い病と闘いながらそれでも音楽を追求し続けた伊藤さんは、“本当の言葉”をたっぷりお持ちだったに違いありません。
もっと色々なことを相談すれば良かった。

こんなことを言っては大変失礼だし不謹慎かも知れない。
ご遺族や僕よりももっと伊藤さんと親しかった方々もいらっしゃいますし、皆さんの悲しみは想像をはるかに超えるものです。

ただ敢えて申し上げますと、誰かが亡くなると僕は『ちゃんと生きよう』と思う。
まさに襟を正さずにはいられない。
恥ずかしくない生き方をしなければならないし、もっと良い仕事をしなくてはと思う。
齋藤徹さんが亡くなった時もこんなふうに思いました。
人を愛することや苦しみとの闘いを経て一生を全うした方を思う時、やっぱり自分もそんなふうに生きて死にたいと思うものではありませんか?

命は必ず終わる。
しかし残された者たちは死について思う時、己の生き方を見つめ直し、これからの人生に新しい眼差しを向ける。
これはとても尊い。
もしかしたら誰かを見送ることは人生の中でもっとも尊い体験かも知れません。

どうぞ伊藤さんの魂が安らかでありますように。
天国でもギターを奏で、冗談を言い、そして大切な人たちを見守り続けますように。

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